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俳句の鑑賞㉔


なめくぢの身の内灯る月夜かな

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.44

季語:なめくぢ(三夏・動物)

正直、なめくぢのあの、ねっとりにょろな様相が好きではありません。
ですが、月の夜にその身の内が灯る、という措辞にすっかり陶酔してしまいました。

主宰の手にかかると、なめくじさへ美しく、そして、隠しておきたい宝を秘めているように思えるので、不思議であります。
もしかしたら、なめくぢは、美しい心をもった姫の化身なのかもしれません。

(注 : 月夜は秋の季語で、季重なりでもありますが、私は圧倒的になめくじに重きを置く句と思いましたので、季語はなめくぢと解釈いたしました)


秋の暮左右の靴の音違ふ

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.45

季語:秋の暮(晩秋・時候)

人には歩き方に、癖、があります。よって、左右の足の運びが異なり、靴音も違うように聞こえる場合があります。
ですが、この御句の伝えたいことは、恐らくそのような現実的なことではないように思います。

秋の暮、そろそろ冬の訪れも感じる頃、作者は少々気になることを心に抱えながら道を歩きます。
こうかな?いや、違うな、ああかな?心が揺れます。
そのような心が反映された左右の靴の音は、道を包むような柔らかな音だったり、反発するような音だったり。
そして、目的地に着くまでには、きっと結論が出たに違いありません。


訊ねたきことをたづねて紫苑濃し

津川絵理子句集「夜の水平線」P.52

季語:紫苑(仲秋・植物)

紫苑

紫苑の花言葉には、追憶・想い出などと並んで、優しさや強い意志をも込められたものもあります。平安時代・王朝文学の中に、その由来があります。

訊ねておきたい、おくべきと思ったことを、しっかりと訊ねたその意志の強さに、凛とした女性の姿が浮かびます。
紫苑濃し、とても美しいと思います。


円卓の向かひの遠し秋薔薇

津川絵理子句集「夜の水平線」P.52

季語:秋薔薇あきそうび(仲秋・植物)

円卓というのですから、中華を囲んでの会食でしょうか。向い側に座る方は、円卓が大きくなるほどに、確かに遠くなります。
ですが、この御句の「遠し」には、単なる距離だけではなく、心の距離も
感じられるように思います。

そんな心を少し反映させているような、可憐ではありつつ淋し気な秋の薔薇であります。


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「南風」村上主宰と津川顧問句集の「俳句鑑賞」の経緯はこちらの記事に。
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