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山上樹実雄全句集より、「眞竹」を読む。
「山上樹実雄全集」より、第一句集「眞竹」四十五句選。
「木椅子 昭和24年~31年」(18~25歳)
揺れやすきところより花咲きそめし
木々芽ぶきむしろ枯れたるものひかる
芽ぐみゆくことに枯蘆みだれけり
遠きほどひかりて落葉降りにけり
枯れ果てて川の真中は流れをり
受験期のわれに母あり真夜の音
月に蛾を放ちて草のとがりける
終点に市電置かれし油蝉
木椅子みな主に向ひ秋となりゆけり
紀の海の轟々と蜻蛉枝に居り
「松の芯 昭和32年~35年」(26~29歳)
流木に水があらそふ雪解川
セルを着て若さ慎む父の前
放送劇波音のこす良夜なり
辛夷咲く宙の正しさ冷えにけり
嫁ぐはまた隠るる如し曼殊沙華
鰯雲未知がひかりの二十代
脈欠けし母のはるけさ枯るるなか
柱映して父の世過ぎぬ初鏡
「純白の父 昭和36年~41年」(30~35歳)
烈風に紅梅ひらく母すこやか
妻に胎動こもごもに揺れ秋の薔薇
子の口に言葉の育つ花蕾
紅薔薇に雨少年の日の孤独
ひらひらと少年泳ぐ麦嵐
病む吾子に廂の深き秋日和
田にあれば水はしづかに太宰の忌
刈田へ落つ白鷺一羽熱兆す
咲く牡丹すでに崩るるこころあり
「湖あかり 昭和42年~46年」(36~40歳)
ささめゆき凍蝶翅を閉ぢなほす
父病むや虫の音乱れてはならず
「雪舞 昭和47年~48年」(41~42歳)
落葉降るおのれひらめく刻が来て
枯れ果てて呼吸の中なる寒牡丹
日をかへすひびき洩らさず寒の竹
ちりちりと寒梅ひらききれずあり
湖といふつめたさありて荻咲けり
雪国の日暮れにはかに影ばかり
雪光の水鳥が身を細め翔つ
年輪の重みけぶりて雪の杉
枯山水春立つひかりさだまらず
水のやうな山気に打たれ花辛夷
身のうちに水のひびきの種下ろし
水はやし身を細うして鮎はしる
皺ふかき沢庵を噛み梅雨さなか
水に来て蜻蛉が翳となる日暮れ
立ちのぼる気のからまつの黄葉かな
水流の刃先ひらりと涸れゆけり
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十六歳で俳句を始め、十七歳で「馬酔木」に入会、水原秋櫻子に師事。そして、十八歳で「南風」の扉をたたいた山上樹実雄先生。
その初めての句会の句が
揺れやすきところより花咲きそめし
であります。
これが十六、七歳の少年の作であることを知って、わたくしは一驚した。ここに鉱脈ありと欣喜もした。
と、南風の主宰でいらした、山口草堂先生もおしゃっていますが、私自身も、この丁寧な観察ゆえの句を詠んだのが、まだ高校生の山上先生であったことを知り、驚愕したのはもちろんのことです。
「眞竹」を読み、確かに受験生であったこと、その後、大学に進学し、医学の道に進んだことも、所帯を持ち、妻と子を、ひいては父、母のことを大切にしていたことも、俳句を通して、知ることができました。
医師としてのお仕事は多忙を極め、途中、俳句を詠む時間もなかなかとれず、身体をも壊されたそうですが、四十を過ぎたあたりから、再び、句を詠まれたそうであります。
今回、この四十五句を選ぶために、かなり、時間をかけて精読いたしました。
この後、山上先生は「白蔵」「山麗」「翠微」「四時抄」「晩翠」「春の顔」と、計七冊の句集を出され、徐々に御句にも変化がみられるようになるとのこと。どのように変化していくのかを知ることが、とても楽しみでもあります。
じっくりと読み進めてまいりたいと思います。
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