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仮名や英字、奇妙な図形や流線が節操ない色で光り踊る、夜。 郁にすれば、異星の街。 その店の硝子扉をひらく。 幾何学模様のモザイク壁、艶めく橙の革椅子……最奥には、ピアノ。 客はスーツの膨らんだ男ばかり。煙草と酒に澱む彼等には、乳白の地にあわく杜若の咲く袷を着た清らな訪問者は、それこそ異星人に映ったろう。 店にもう独り、又別の星からの女。 ピアノに撓だれる歌。数多のカラーピンで纏められた要塞の如き黒髪、ゴールドのコンタクトの眼、裸より淫靡なスパンコールドレス…… ……そし
妹の指は丸い。 赤ん坊のように膨らみがあり、ぶよぶよしている。脂肪ではない。動かすことがないので、浮腫んでいるのだ。 不自由なのは右手だけで、健常である左の指はそうではない。五歳の子に相応しい長さと器用さを備え、そちらであればピアノを弾くのに支障はない。 「お兄ちゃんとレンダンしたい」 何がきっかけか、急に妹はそう主張を始めた。僕と同じ教室を選び、同じ先生に師事。当然ながら演奏できるのは左手のみで、通常僕らが右でなぞる主旋律を、妹はそちらで辿々しく鳴らす。 次の発表
昔書いた掌編小説で「指の綾子」という話がある。題名は覚えているのだが、内容をさっぱり思い出せない。「綾子」というのは、当時私の勤めていた食品工場の同僚の名前である。彼女は撹拌機に巻き込まれ、指だけを残してその他の体を粉々に砕かれた。親しい同僚の凄惨な最期を見た私は気が動転してしまい、綾子の指を隠し持って早退した。 その後医療の進歩と世界的な倫理観の崩壊と私の借金と引き換えに、指だけの綾子は培養技術により全身を復活させ、私の妻として家にいる。「事故」「工場」「切断」といっ
(読了目安2分/約1,200字+α) 眠る彼を起こさないよう、そっと起き上がる。空が白みだしている。 鏡に映る顔には、目の下に隈がある。ほうれい線も目立ってきた。二十代の終わりに差し掛かり、明らかに年齢が表れている。私は顔を洗い、メイクをする。 コーヒーメーカーに三杯分の水を注ぐ。朝一番に彼はコーヒーを飲む。 ウインナーをボイルし、スクランブルエッグを作る。スライスしたライ麦パン。これらはすべて一人分。 皿に盛りつけテーブルに置くと、マグカップに自分のコー