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旅の意義を改めて感じたStay HomeのGW

2014年以来、初めて国内で過ごしたGW。
と言っても、2014年も国内旅行はしていたから、旅行しないGWなんて一体いつぶりなんだろうか・・・もしかしたら社会人2年目以来、初めてかも?(就職した年は、実家を出て一人暮らしをスタートしたので、記憶に残っている)
それくらい、長期休暇があればとにかく旅行してきたので、初めて家で過ごす、しかもどこにも出かけられないGWとあって、自分がどんな風に感じるのか、少し楽しみでもありました。

5連休過ごしてみたけれど、そこにあったのは日常の延長。
断捨離や映画を観たり、日常の中で溜まっていたやりたかったことをひとしきり片付けて、そしてまたいつもの月曜日を迎えるように、仕事が始まりました。

ここ最近の私には、旅で見たり、感じたり、そして旅先で出会った人たちとの話が人生のヒントになっていることがたくさんあったので、それが一切ないことの衝撃といったら…これから先の人生、どうやって生きていったらいいのか見えなくなりかけるような気がして、少しくらっとした。
大げさだけれど、こんな状態がずっと続くというのは、やっぱり耐えられないな…と改めて。

以前の私は、他の人たちが仕事をしたり自己啓発に勤しんだりしているのに、私は休みがあれば旅行ばかり行って遊んでばかりいて、ダメだなぁ…とずっと負い目を感じていました。
消費しているだけで、何も生み出せていない、と。
それがここ数年、少しずつ様子が変わってきて、いつの間にか旅が「単なる消費行動」ではなく「経験」になっていました。
それまでは点と点だったのが、自分の中で少しずつ繋がり出して、線になってきたような感じ。
暮らしや宗教、自然への向き合い方など様々なことを、これまで訪れた場所と対比してみたり、共通点を見つけたり。

自分の中で印象的だったのは、インド最北端の冬の間は高い山に閉ざされ陸の孤島になるようなラダックの小さな町と、日本の地球のほぼ反対側にあるエクアドル本土からさらに1000kmも離れたガラパゴスの島、それぞれで出会った同世代の人たちが、東京で暮らす同世代と、同じようなキャリア観、結婚観を持っていたこと。
こんなにも離れていて、そしてどちらも僻地なのに、そんなことは関係なく、皆スマートフォンを持ってパソコンを使い、同じ時代を生きているんだ、と、驚いてそして何よりワクワクした。
地球上のすべての場所で同じように流れてるこの時代を、できるだけたくさんの場所で体感してみたい、と強く思わされた瞬間でした。

死ぬまでに地球上のできるだけたくさんの野生動物とも出会いたいけれど、それと同じだけ、たくさんの人とも出会って、いろんな話がしたい。
それが両方できちゃう旅って、やっぱ最高なのです。
旅好きの人は皆同じ思いだろうけれど、早く収束して、また旅に出られるようになりますように。

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上は、インド最北端のチベット仏教地域、ラダックを旅行した時に訪れた村で見かけたチベット文字(多分、お経)が刻まれた石。
下は、ガラパゴスでお世話になったゲストハウスに置いてあった、チベット文字がペイントされた手作りのインテリア。オーナーは昔チベットを旅したことがあるらしい。

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