【1分45秒で読めるエッセイ】電車という名のゴミ箱
電車って、人間のゴミ箱みたいだなと思った。
いつだったろうか。学生の頃か、働き始めた頃か。
朝、いつものように電車を待っていると、到着した電車から濁流のように
人々が押し出されてくる。
濁流に飲まれないように、ホームに佇んでいる時、ふと
「あぁ、電車は人を乗せていくゴミ箱だ」
と思った。
多くの人々が、行きたくないと思いながら会社に行く。
多くの人々が、楽に暮らしたい、と言いながら何もせず、
「今日も会社行くのだりぃな」とうなだれながら、スマホをいじって
その場をやり過ごす。
かく言う私も、その一人であった。
私も、ただただ過ぎゆく毎日という濁流に飲まれ、ただただ日々を流れていた。
しかしふと疑問に思う。
「このまま、一生濁流に飲まれて暮らすのか? 老後、定年退職でもすれば
濁流が清流に変わり、穏やかに流れていけるとでも?」
私は濁流で溺れ死にたくない。今、そう思っている。
今年、職を変えた都合で、電車通勤は辞めた。
毎朝、踏切で電車を見送りながら思う。
「あの乗客たちは今、濁流の中にいる」
何人が濁流を清流に変えようともがいているだろうか。
私は、今この時の人生を清流に変えたい。
穏やかに流れる老後なんて待てない。老後までに死んだらどうするんだ。
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