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山茶花散らし

1月といえばこのお話。

2014年の1月に書き、2月の朗読ライブで使用していただきました。

この作品を書いた当時、私はへとへとに弱っていました。

思えばこの頃も、日々の忙しさを理由にして、書くことから離れていた時期でした。

身の回りには創作をする人はおらず、本を読んだり、舞台を観たり、そういうことが好きだというと、「そんなことをしているなんて暇なんだね」等々の嫌味も言われたことがあります。

スポーツが好きで社会人チームに入っている同僚もいましたし、仕事終わりに映画を見に行く人だってたくさんいました。それと同じように、好きなことを好きなようにしているだけなのに、そんなことを言われる筋合いはなかったのですが、当時の私はそのまま受け止めて、「ふつうにならないといけない」「この場所にいられるようにしないといけない」と間違った方向に頑張って、書くことから離れて息苦しくなっていました。

そうして息苦しさが頂点に達して、パンクした時、私はこのお話を書いていました。

――誰に何を言われようともいい。とにかく何かを書き留めたい。

物語には満たない、個人的な感情だったかもしれないけれど、とにかく「今、書かなければ」と、必死になって書き付けたものです。


書き終わって、「ハァッ」と息をついて、「あ、呼吸が出来る」と思ったことを覚えています。

雨の日も雪の日も嵐の日もあるし、立ち止まることもある。

それでも「書く」ことは私にとって、呼吸をするようなことだったんだ、と、思い出させてくれたお話です。



……と、いいつつこの「山茶花散らし」の次に書いた小説が「きっと彼は猫になる」なので、小説の創作自体はここから7年空いてしまうのですが……(^^;

幸いにもその後しばらく、「この場所で今の私のままで出来ることがあるんだ」との前向きな気持ちで奮闘していたので、新しい物語を私自身が必要としていなかったのかもしれません。

そこからまた時を経て、「物語を書く」ということに戻ってきました。

自分を見失いそうになったり、どうしたらいいかわからなくなったときには、とにかく何かしらを「書く!」ということで、次の道が開けるような気がしています。

ちなみに私は、「大丈夫」と誰かに言ってもらいたいな、と思ったときには、このお話を読み返します(笑)



※山茶花の写真がなかったため、タイトルに使用しているのは椿の写真です(エーッ)

※小説は7年書いていませんが、小説以外のジャンルのものは時々書いていました。(何なら日記だけで毎日2000字書いていた…)


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