-1の原風景

 NOTE上の知り合いに、何の因果かわかりませんが、英語圏の方が時々見に来られています。
 その方の文章に、ゴジラ-1に関する文章があったので、ちょいとそれについて思う所を記述してみようと。
 今よりちょいと過去のお話、1970年代の後半からその終わり頃、この文章記述者が年齢にして1桁の頃でしょうか。その頃職業小学生だったこの文章記述者の生活は、学校が終わり放課後になれば、夕飯までたいした用事はありませんでした。そんなご身分、学校終わりから夕飯までどうやって時間を過ごしていたのか?TV見ていた事が多かったと思います。
 思い起こせば平日の夕方は、毎日毎日、仮面ライダーやらウルトラマンの再放送が繰り返し行われていました。記憶をたどれば、時代劇とか古いアニメなんかも多かった気がする。
 そう、この文章記述者の小学生時代は、そんな生活を延々と続けておりました。
 ええ、その頃の子供の多く(庶民家庭の男児)は、毎日毎日ウルトラマンを観ていられる生活が可能だったと言えますし、毎日毎日ウルトラマンを観ている生活って言うことは、怪獣が町を破壊し、住民が逃げ惑い、防衛隊や自衛隊がその怪獣と消耗戦を繰り返しながらも怪獣に屈し、ウルトラマンがきっちり勝って安心して番組が終わっていきました。
 そう、1970年代後半に子供だった日本人は、当たり前のように怪獣が町を破壊し住民が逃げ惑う、そんな風景をTVで、その光景が当たり前になるほど観ていたと言えます。
 そんな日本男児達も年齢が10代の半ばにもなれば、緩やかな選択を迫られます。
アニメ特撮その頃増え始めたファミコンはじめとするゲームを続けてい者になる。
 他方、世間的な大人並みの趣味にシフトする者になる。例えば野球を見るサッカーを見るなどスポーツ関係の趣味にハマる。
そう、日本的表現をすると、アニメ特撮ゲームを「卒業する」と言われます。
 卒業した後の時間や体力などのリソースは多くの場合、スポーツにつぎ込むことが多かったと思います。(観戦する方と競技者になる方含む)
 そしてアニメ特撮ゲームを卒業し損ねた日本男児は、アニメ特撮ゲームその他のホビーにのめり込むオタクになる道を進みます。
そういえば、それ以外の本当に極少数の日本男児はどこへ行くのでしょう?
 話を戻し、順調にオタクとしての道を究め始めた日本男児ですが、自らがオタクであると自覚する彼らには、ある習性が出てきます。知識の裾野を広げていくというやつです。
 自身の最推し以外の知識を増やしていく傾向があると言うことです。知らないことがあるというのがどうも屈辱に感じられるんでしょう。
 そんな裾野には、歴史やオカルト、戦国武将や三国志、芸能など、様々な分野があります。
 そんな日本男児の知識拡大の中には、ミリタリー知識がかなりの割合を占めることが多いようです。
 陸上なら戦車はじめとする軍用車両そして銃、空を見上げれば軍用航空機、海では軍艦、といった具合。
 ミリタリー知識を蓄えた日本男児のオタクさん達はもう一つトラウマに等しい深い認識があります。
 日本、太平洋戦争で、こっぴどく負けた。という事実です。
 この文章記述者も、ココに掲げる典型的日本男児オタクです、だからこそ、震電が空を舞い、30ミリ機関砲をゴジラに斉射し爆撃を行う、そのシーンに目も意識も魂も奪われた気がしました。
 言葉にしないけど、みんなわかってたんです、戦争に負けた日本では武装解除で兵器がほとんどなくなってしまった。高雄も雪風も響も震電も本来の姿で動かされることがない。
それが飛んだ、海を進んだ、それがCGだとしても。
それを見せてくれた映画がゴジラ-1だったんですね。

 話を中途半端に戻すと、2000年代以降日本の子供の生活は、どこかでジャンプアニメのバトルがあって、アニメと言えばプリキュアが長い年月作られ、ウルトラマンも仮面ライダーも戦隊ヒーローも毎年新しい作品が作られ続けている。
 そんな時代を生きてきた日本の子供達は、どんなオタクさんになっていくのだろう?

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