これは希死念慮?いつも、どこかへ帰りたい。
無。
仕事が忙しかったり、感情が揺れ動くことが多い日が続くとふと。
ふと急に思うんですよね。
「はーーーー無になりてーーーーー」って。
長らくこれを「希死念慮」と勘違いしていました
別に嫌なことがあったわけじゃない。別に何か辛いとか、苦しいとか、そう言うわけじゃない。でも、ふとした瞬間に思うんですよ。ああ、どこか遠く、自由なところへ行きたいって。
昔はそれを「希死念慮」だと思っていました。ふと理由もなく漠然と死にたくなる、あれ。
でも、冷静になって考えてみたら「別に死にたいわけじゃないな」と気づきます。そして別に生きているのが嫌になったわけでもないんです。生死に関して、そもそも気にしていません。自分という個の存在が邪魔なんです。
誰もいない、どこでもない場所に行きたい。自分じゃない別の存在になりたい。でも、別になりたい理想の姿があるわけでもないし、今の自分に不満があるわけでもない。
以前は説明するのがめんどくさくて「これも要は希死念慮だろ」と思って、自分は死にたがりなんだなあ理解していましたが。ある時、ほんとうにまじでこの感覚がキツくなって、入院しました。精神病棟でした。
入院時の診察で言ったこと
ところで、精神病棟に任意入院するときっていろいろと診察で聞かれるんですよ。その質問に答えが判断材料になって、本当に入院の必要性があるほど切迫した状況なのか?をお医者さんは判断することになるようなのですが(詳しいことは知らない)。
「死にたいですか?」と聞かれました。
ここで私はふと真面目に考えてみました。「死にたいか?」
自ら命を絶つことを、望むか?私が欲しいのは自分の「死」なのか?積極的に命を終わらせたいのか?
私(…いやーーー……別に死にたいわけじゃないんだよねえ)
この謎の不安、恐怖感がなくなればそれに越したことはないし。死にたいっていうか、肉体を持って生きるのがめんどくさいっていうか……自分が自分であることが邪魔くさくてものすごく違和感っていうか。
一瞬のうちに色々と考えを巡らせた結果「空気になりたいです」と答えました。実は、この答えが一番しっくりきました。
私「空気がだめなら、水でもいいです。水になりたいです」
※ここから先、「希死念慮っぽいけど別に死にたいわけじゃないんだよなあ」の気持ちを詳細に説明しています。何度も言いますが、本心では別に死にたいとは思っていません。
ただ、この感覚を説明するのが難しくてどうせ誰も理解できないだろうと諦めた結果「死にたい」という表現をしていました。
そんな元うつ病患者の回顧録と、それに対する解説です。
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