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#7 金木犀

いつからだろう

好きな花を問われると
「金木犀」と答えるようになったのは

好きな香りを問われると
「金木犀」と答えるようになったのは


"キンモクセイ"という植物の名を
初めて知ったのは小学生の頃だった。

とある秋の日の朝ランドセルを背負って
庇を抜けたところで
ふわっと甘い香りがすることに気付いて
思わず立ち止まったことは今でも覚えている。


庭の木には小さなオレンジ色の花たちが
身を寄せ合って咲いていて
強くて優しい甘い香りを漂わせていた。

世間的に言われる"懐かしい香り"なんてのは
今となっては頷けるが
当時のわたしにとっては未知の香りで
初恋のような一目惚れのような
胸の高鳴りがしたっけ。

一日中あの香りが忘れられず
放課後すぐに帰宅して庭で胸いっぱいに
甘い香りを吸い込んでから玄関の戸を引いた。

祖母に聞くと
"キンモクセイ"という花だと教えてくれた。

「いつ植えたの?」
「ずうっと前からあるじゃあ。くっちゃんが生まれる前からずぅっとよお。」
「お花は?去年も咲いてた?」
「咲いてたじゃ。去年も一昨年も立派にねえ。」
「わたし今朝初めて気づいたよ。こんなにいいにおいがするのに去年は全然気がつかなかった…」
「今年はくっちゃんのお鼻が大人になっただよお。」

そう言われてみれば
お花は保育園の頃から"きれい"だから
大好きだったが、
幼い頃から蓄膿症で
耳鼻科に度々通っていたわたしは
初秋から初春にかけて
鼻が詰まっていることがほとんどだったから
花の香りを気にしたことなどなかった。

小学校中学年頃から成長期に入り
身体も物凄く丈夫になり
耳鼻科にも顔を出すことは無くなっていた。
気づけば身体も感性も成長して
花の香りを感じることができるようになっていたらしい。

金木犀の香りを知ったわたしは毎日
あの甘い香りを吸い込んで登校し
あの甘い香りを吸い込んで玄関の戸を引いた。



しかし、
その香りは然程長くは続かないことも知った。

毎年金木犀の季節になるのが楽しみになり
私の中で四季の一二を争っていた春秋で
秋が1番と答えられる理由になった。



だが
我が家にある秋残念なことが起きた。


庭の金木犀の木は祖母が家を出て数年後、
祖父が誰の同意も得ず
邪魔だといって切り出されてしまったのだ。

とてつもなく悲しかったが
中学生になったわたしはそこで泣くほど
もう子供ではなくなっていたらしい。

根が残っていればまた
いつか花がまた身を寄せて咲き
甘い香りを運んでくれると
僅かな期待を抱いた。

中学の3年が過ぎ、
高校の3年が過ぎ、
わたしが上京したその秋も
花をつけることはなかった。

わたしが上京して3年目の秋、
金木犀の木を切った祖父が亡くなった。
そして何年も沈黙を貫いていた木が
一枝だけ綺麗な小さな花をつけた。

なんだかなあ。


通り掛かりに気がつけるほどの
豊かな香りはなかったが
数年ぶりに花を咲かせたことが嬉しくて
目一杯鼻を近づけた。


それから実家の庭にはまた
毎年金木犀の花が咲くようになった。


今年は情勢の変化で帰省ができなかったが、
ある夜、仕事を終えて帰路に就くと
ふわっと甘く心ときめく香りが
マスク越しにも感じられた。

10メートル程離れた街灯の
ぼんやりとした明かりの中でも
綺麗なオレンジ色がわかった。

そういえば金木犀は
自然には咲かない。
誰かが植えないと育たないんだよ。

とどこかで聞いた。


秋が好きな誰かが植えたのだと思うと
ますますいとおしいなあ…

なんて考えながら

どこか懐かしい香りをゆっくり吸い込んだ。
肺いっぱいにオレンジ色の花が咲いたようだ。

夜の空気はいつのまにか

ツンと冷たいものに変わっていたみたい。



やがて全ての花を落とし
雨でじっとりと地面に貼りついた絨毯も
一晩で風にさらわれてしまうんだろう。

健やかに日々を過ごせばまた
1年後にいとおしい1週間がきっとやってくる。


次の金木犀の季節は薄い布を隔つことなく
香りを感じられる世の中に
変わっていますように。


わたしももう少し
大人に変われていますように。

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