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肩のちからを抜いたっていい

お久しぶりです。
新年度がはじまってからようやくまとまった時間ができたので、更新していく。

今回は、この前読んだ本について。
紹介するのは、「ちょっとフレンチなおうち仕事」と「志麻さんの台所ルール」。

著者のタサン志麻さんは、予約がなかなか取れないことで有名な「料理専門の家政婦」。
NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」をはじめ、さまざまなメディアに取り上げられるなど、いま注目を集めている女性のひとりだ。

志麻さんの家政婦のお仕事は、予約が入った依頼者の家へ出向き、3時間で1週間分のおかずを作るというもの。
その家庭の事情や好みを頭に入れつつも、時間・材料・調味料・道具など多くの制限がある中で、つぎつぎと素敵なおかずを作っていくのだ。

家政婦以外の活動や、最近のお仕事については、以下の公式サイトへ。

フランスで鍛え抜かれた元料理人のテクニックを持ち合わせながら、依頼者の家族を笑顔にさせる温かさをも提供する、彼女とその料理たち。

しかし、元料理人のかたが作るおかずって、本格的すぎて全然マネできなさそう…と思いきや、
メディアで見かける志麻さんの料理は、彼女の人柄同様にすごく自然体でいたってシンプル。

そのことに、なんでだろう。と思い、レシピ本ではなくあえてこの2冊を読んでみた。

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ここからは、両方読んでみて学んだことを。

①うまい手の抜き方を知る

日本における台所の風景といえば、
つくる人がずっと台所につきっきり、火加減や焼け具合をこまめにチェック、1人ずつ小皿に取り分けて配膳…

それを毎日、夕ご飯だけ頑張ったとしても、大変だ。

そんなよくある日常に志麻さんは、そんなに頑張らなくていいよと教えてくれている。

志麻さんが修業していたフランスでは、「待つ」ことが食事の一部だそうで、それはつくる人にもあてはまるとのこと。
たとえば、煮物を火にかけたあとは、プチトマトやチーズをつまみながら出来上がるのを「待つ」。

志麻さん自身も、待ち時間に洗濯物をたたんだり、お子さんと遊んだりできるからと煮物をよく作るそうで、
炒め物すらも火加減だけ決めたらかき回さない(!)そうだ。

また、おかずを小皿に分けなきゃ問題も、鍋ごと出して好きな分を自分で取ってもらうスタイルなら、配膳も取り分けもラク。

疲れすぎて作るのすら無理な日は、お惣菜を買ってきてあっためるだけにするのもありだなあ、と思った。

ちゃんとしたものを作らないといけない、とか
ほかのこともしなきゃいけないのに時間がなくてうんざり、とか。
つくる人が疲れるのは、あまりにもかなしい。

だから、ハードルを上げて、料理をむずかしく考えない。そして、どうやったら料理「だけ」の時間にならないか工夫してみる。

「もっと手を抜いて」「がんばらなくていい」
これらのことばは、元料理人というよりもひとりの主婦としてのことばにも聞こえる。

志麻さんのことばで、料理をなにかと並行する時間、と捉えるようになってからは、ほかの家事をやったり、読書したりしてこころの余裕を作るようになったような気もする。(わたしは主婦ではない)

ちなみに、志麻さんが書いていた炒め物焼きっぱなしチャレンジもやってみたら、一人分の量はフライパンに対して少量だから、火の通りが早くてちょっと焦げた。。
ので、多めに作る時また改めてチャレンジしたい!

②万能なものをとことん活用・代用

志麻さんのようなこれだけ素敵な料理をつくるには、きっと専用の道具が必要だったり、希少な調味料や材料を使ってたりするんだろうな…

と思いきや、志麻さんの答えはNo。

彼女は自宅でも、依頼先の家庭でも、菜箸を基本の道具においているという。

たしかに、つかむ・炒める・混ぜるなど、料理の基本の動作にほぼ対応できるし、洗うのもラクだ。
しかも菜箸だけ使うと決めちゃえば、道具をあれこれ変える必要がないので時間も洗い物も節約できる。

これは…盲点だった。

私は道具をそこまで豊富に持っているわけではないのだが、調味料をや具材を入れるのにスプーンやフォークを使って洗い物をちょこちょこ増やすクセがあるのだ。。

菜箸、もっと使いこなそうっと。

個人的にやってる代用としてはサラダスピナー代わりにざるとお皿を使うくらいだが、
ざるのほかの活用法や、肉や魚のパックを使ったコツまで本には載っていて、すぐマネした←(正直なので?)

また、味付けに関してはフランス料理や文化を知って、代用の有用性に気づいたのだとか。

フランス料理の味付けの基本は塩。
基本の調味料といえば「さしすせそ」をうたう日本とはえらい違いである。

塩は、そのままふるだけで味を決める簡単さもありながら、素材のうまみを引き出す力も持ち合わせる、まさに万能な調味料。

さらに、フランス人はドレッシングや調味料をあまり持たず、手作りする文化があるそう。
たしかに、あのフレンチドレッシングもサラダ油とお酢と塩コショウでできるわな…

いろんなものをいっぱい持っているほうが、作れる料理のレパートリーが広いとは限らない。
ただ、作る料理も、いいなと思うものもひとそれぞれだから、必要なものを見極めるために買いそろえるのもありだろう。

「なくてもできる」が増えると、手際もスペースもコンパクトになるなんて、断捨離のよう。
作ると捨てるは正反対のはずなのに、不思議だ。

③レシピどおりをやめる

レシピをもとに料理を作る人は少なくないだろう。
最近だと、クックパッドなどのレシピサイトも手軽で充実しているし、本だってたくさん売っている。

レシピを参考にして作るとき、ありがちなのが「レシピどおりなのに、なんか違う」問題。
材料や調味料の分量はもちろん、途中で加える水の分量まで親切に書いてあるものも。

ちゃんとレシピどおりの分量と手順で作ったのに、なんか味がいまいち…という経験はどなたもあるのではないだろうか。

志麻さんいわく、料理の分量や手順などは、自分で考えたり肌で覚えたりすることが大事なのだとか。

言われてみれば、手鍋やフライパンなどの大きさはひとそれぞれだから、必要な水や油の量も加熱時間もバラバラ。
もちろん、家にある調味料の種類・メーカーも、レシピの作者と同じものとは限らないから、風味も異なる。

だからレシピの数字をなぞるのではなく、「このくらいかな」を自分で見つけることが大切だという。
たとえば、煮物に必要な水の量は具材がかぶるくらい、みたいに言語化して整理したり、揚げあがりの音を覚えておいたり。

我が家には偶然にも(?)計量カップや大さじ・小さじなど、分量を量るものが存在していないため(厳密には奥深く仕舞ってあるらしいのだが)、
料理は目分量でつくるもの、として生きてきた。

家庭科の調理実習で、量らず目分量で進めて怒られたことも。でもこれはこれで良かったんだなあと思った。(実習はちゃんと先生のルールを守ることが大事なんだけど!)

※あとはめんどくさがりな性格だから。というのもあるが…だからお菓子作りは壊滅的

そして手順こそ、「考える」をフルに使う時なのだとか。

使ったものの片づけと料理をどう並行させればスムーズか?手をあける時間をつくるには?そもそも、どの工程から取り掛かればいい?

レシピどおりにやっていてはいつまで経っても受動的だし、レシピ自体も覚えられない。
レシピにかかれていない、工程のあいだを読む重要性に気づかされた。

ものの片づけは動線をもとに考えることが多いけれど、料理でもこれはいえると思う。
レシピだとAという工程からスタートするけど、それはその料理「だけ」を作る時の工程であって、
ほかのものを並行してつくる時ならBという工程から取り掛かったほうが、道具を洗うタイミングができたり…など。
どうやって動いたら効率がいいか、動線から逆算して考えるって大切だなと思った。

このことを学んでからは、特に洗い物を洗うタイミングを考えて料理するようになった。

いままで、短く作ることばかり考えて洗い物はぜんぶ食べてからやっていたけど、
料理と洗い物の両立を軸に置いてみたら、食べ終わったあとのお皿洗いに対する気の重みがだいぶ軽くなった。

お皿以外にフライパンや手鍋やグリルも洗わないと…と思うことがなくなったのでおすすめ。

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料理をがんばらない、という選択。

完璧を求めず、ほどほどに。でも、工夫できそうなところはちょっと意識して変えてみる。

「食卓でなにを食べるよりも、どんな話をするかが大事」と語る、志麻さんらしさが詰まった2冊だった。

今回は料理にまつわるコツやくらしのヒントの本を読んだけど、レシピの本も読んでみようかな。

もちろん、レシピをまるごとなぞらないように、工程を自己流に考えながら…!




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