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蝉の声と夏の日

涼しい夏の夕方だった。昼に目一杯零していった大雨はまるでなかったかのようにすっかり上がり、街にはじっとりと水気を含んだ風とオレンジ色の夕日が残っていた。

水たまりは鏡となって、きらきらと光を乱反射している。濡れた黒いアスファルトは乾いて次第に明るい色になってきていた。今日は週末、金曜日。怒涛の1週間の終わりは案外平坦で、いつものように大学からの帰り道を一人歩いている。

蝉の声がした。久々に聞いた。この声の主はきっとアブラゼミだろう。
「ああ。日本の夏だなあ。」
去年は遠い異国の地、蝉のいないカナダで暮らしていた。それはそれで静かで穏やかな夏だった。

一方で、蝉の五月蠅い夏も悪くないなと思う。日本らしく音で季節を感じる。環境、ベルなど音で変化に気づきやすいだろう自分にとって夏の知らせはいつも蝉の鳴き声だったように思う。

彼らは面白いことに、時間ごと、温度ごとに交代して鳴いてくる。最近は暑すぎるのかクマゼミばかり聞いていた。なかなか五月蠅いのでさぞうんざりしている人も多いことだろう。昔は玄関の前に蝉が止まる木があった。真夏の暑い朝にはクマゼミに起こされたものだ。
アブラゼミは気持ち涼しい時に鳴く。まだまだ、夏本番ではないのかなと思いつつ帰路についた。


四季の概念が大分崩れてきて、それがなんなのかわからなくなる日が多くなってきた。でも果たしてそれは、本当に気候が変わってきたからなのだろうか。きっと半分くらいはそうなのだろう。どれと同時に、季節を気にするような生活をだんだんと送らなくなっていたような気がする。最近まじまじと蝉の鳴き声を聞いたのはいつだろう。蝉の声を聞いて物思いにふけたのはいつだろう。

蝉の声を聞いて、考え事をして、少し童心に還ることができたような気がした。「アブラゼミが鳴いているなあ。夏だなあ。」とぼんやり思う私はあの頃とさして変わっていない。心が少し潤った気がした。ほどよい潤いだ。まるで今日の天気のようだ。気持ちが温かい。

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