読書日記 #28 ゾンビさながらの毎日を健やかに過ごすために読むのです
10月◆日
動けない。起きれない。ゾンビさながらのだるさ。
朝ダラダラと「若者言葉の研究」を読む。
品詞別に、「普通に」とか「エモい」といったような今となってはすっかり定着している言葉の成り立ちやなぜその言葉が生まれたのかの仮説などがまとめられる。
1年の最後に出てくる「流行語」とかじゃなくて本当に世の中に「新たに生まれていく言葉」の研究でとても興味深い。
言語学の知見は全くないのだけど、最近ネットで出てくる新しい言葉で好きだなぁと思うもの(てぇてぇとか限界化とか)があって、うまくまとめられないかなと思っているので参考文献的にインプット。
単に仲間内だけで通用する言葉が欲しいということもあるかもしれないけど、これまで表現できなかった隙間を埋めるような語彙が増えるのはいいなぁと思う。
それからなんとか起きて朝、ポッドキャストを収録して、頭が締め付けられるように痛いからドライヘッドスパに突如行くことにする。
なぜ頭をマッサージされるのはこんなにふにゃふにゃになるのか。マッサージされてる最中はそうでもないかなと思ったのだけれどもさすがプロ、終わった後は疲れが頭から湯気のように立ち上る感覚に。
あと30分で家から出ないといけないのに再び動けなくて、それでもなんとか体を引きずるようにしてジムに行く。
帰りは運動のため歩きたかったけど、疲労感がものすごくて電車にする。
帰ってきてからも身体が動かなくて横になる。
やりたいこともやるべきことも山積み。
洗濯も料理もお風呂も公共料金の支払いも。
ライティングも読書もメッセージへの返信も音声編集も請求書の発行も。
全部全部どうでもよくて、しんどい。
何にもできなくて頭がぼーっとする。
そんな中でも昨日のホラーイベントの気付きをまとめておきたくて、ベッドに転がりながらこの日記を書いている。
「怖い感じの交流会」という、ゆるホラーな集まりに行ってきたのですが本当にいろんなことを考えさせられた。
ふう。
これだけ家に本が積んであるのに中古で入荷したのを発見して買ってしまった本の到着を今か今かと待っている。ポストを見たけれどまだ届いてなかった。
ずっと気になっていた「怪談未満」が入荷していた。私が大好きな本、「某」の表紙を描いた三好愛さんのエッセイ。絵のもふっと感も大変好ましい。抱きつきたい。
そしてこの本はホラーになる手前の〈日常の不気味〉がテーマのエッセイ。ポッドキャストで紹介されていて、気になっていた。
あとは、「私、誰の人生もうらやましくないわ」という児島令子さんのコピーを集めた本。
これ一度買い物ボックスに入れたら削除できないエラーに陥り、じゃあもう買うか、となって買うことにした。以前、「幸福を見つめるコピー」で描かれる大衆的幸せに打ちのめされたので、これはもう少しそういった概念から自由なのではと期待している。
他にも買った本はあるけどそれはまた別の機会に。
お風呂では「黄色い家」と「恐怖の哲学」と、珍しく2冊を読む。
「黄色い家」の方は、登場人物のみんながみんな、どうしようもない袋小路に堕ちていくような描写にいちいち胸が締め付けられてしまってなかなか一気には読めない。
「じゃあどうしたらよかったの?」って問い詰められているような気持ち。どうしたらよかったんだろう。
「恐怖の哲学」は端的にいうとホラーってなぜエンタメなのか?について紐解く哲学の本で、先行研究も丁寧に紹介され、思ったより骨太。
本題に入るまでにそもそも怖いって何?ホラーって何?を定義するためにページの3割を割いていた。テクノロジーの影響は受けても人間自体が劇的に進化するわけではないから、その本質に迫らんとする感じにわくわくする。
それにしても体調がよくならないなぁ。
これは私の仮説なのだけど、男性はパートナーに体調が悪いと言われるのが本来苦手なんじゃないかと思う。
私が出会ってきた人がよくなかっただけなのかもしれないけど、明確に機嫌悪くなる人もいたなぁと。解決できない問題を提示されるのがしんどいのかな。
女性は割とそういう時に動じずに、なんならここぞとばかりに自身の役割を認識し、サポートしようと思う人が多い傾向を感じる。唯一私の年の離れた同僚だけは、日頃、心身が健康すぎて共感できないのか、話が噛み合わないことが多いんだけど。
だからすごく気を遣う。ただその状況を伝えたいだけの時でも、変な見られ方をされないかって。
何にもしてくれなくても、意味のないおしゃべりがちょっとできるだけで救われるって時のが多いのに。
そんなことをぐるぐると考えながら、眠りに落ちる。
10月◎日
先週体調が悪くなったことに危機感を覚えて昨晩、そして今朝とストレッチをする。
伸びをするのは気持ちいい。
20分くらい使うと思うと、つい、やる前は面倒くさいと思ってしまうんだけど、やってみて後悔することはない。
むしろ最高の気分。
なのに、なんで毎日できないんだろう。目が疲れて仕方ないのに、毎日ナンプレ解く方が身軽にできるのなんでだろう。
友人から、「はじめての」でやってるYOASOBIと直木賞小説家さんのコラボいいね!って連絡が数日前にきて、そういえばまだあれ読んでなかったと思い、昨日は島本理生さんの『私だけの所有者』、今日の通勤中に辻村深月さんの『ユーレイ』を読む。
この方々の作品、他の小説ももちろん読んだことあるので、曲になる前から、作品自体がYOASOBIの空気をまとっているのがわかる。「未熟さ故の痛み」の瑞々しさっていうのかな。
まぁ、辻村深月さんの場合、特に初期作はもともとYOASOBIの歌詞で描かれる世界と近しい、痛くてどろっとした感情を軽やかに描くのに長けている人なので、違和感は全然ないのだけれども。むしろ地に足がついているくらい。
島本理生さんなんてSF!こういうテイスト書く人じゃなかったのに。
そしてさらに音楽を聴いてもともと好きだった「ミスター」のMVと歌詞への理解がより深まる。具体的な歌詞から抽象的な感情が喚起されて、私自身の具体的なことに投影されていく感じ。YOASOBIマジック。
五感がふるふると震えるようなたまらない体験。いい。
レビューが明らかに本を読みなれてない人たちのものだったのが笑えた。
「よくわからないものがあったので星4」とか。
偉大なる直木賞作家さんたちが、歌の添え物扱いされている感じなのが、裏返せばそれだけ新しい人とのタッチポイントになっているということで、良いマーケティングなんだろうということが察せられる。
さて、今日は健康診断。
サクッと終わると思ったのに、バリウム検査で身体をぐるんぐるんされるし、婦人科検診は丁寧だし(いいこと)、なかなか長丁場。
ほとんど仕事にならない。
休憩時間が長かったのでさらに宮部みゆきさんの作品も読み終える。
これもゴリゴリのSF。いやぁこれ、長編にしてじっくりかいてほしいくらいの重厚な世界観。でも、この作品のターゲットを考えるとこの長さが適切なんだろうと思う。
そして、想像以上にセブンティーンがあらすじままだったんだと気づく。
曲単品でもめちゃくちゃいいから、ストーリーを想像せずにきいてたけれど、改めてMVがセンス良すぎる。
健康診断を終えて何とか乗り越えたね、のお祝いラーメン。染みるなぁ。
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