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気付いたら家族、みたいな感じの父娘 その3
今時それほど特殊でもないけれども、少しだけ、世の中の定型とは違う「再婚した父と家族になる」という経験をしたことについて、書き残しておきたいと思います。
孫が増えてうれしい。
父親ができるということは、単に父親ができるということではなくて、その人の家とこちらの家が繋がるということでした。
わかってはいたけど体感としてはよくわからない。
よく少女漫画で新しい兄弟ができてそこから恋愛が始まったりするけれど、そんなのは、所詮フィクションでしかありません。
正直、そういう「家と家」みたいな話、しんどいなーと思っていました。
そんな折、義理の祖父母と父と母と私たち姉弟が集合する食事会が開かれました。
祖父として紹介されたのは、品の良いスーツに身を包み、優しく微笑む、紳士的な印象の白髪の男性。70を過ぎていましたが、今、なお自分の会社を経営しているんだとか。
そして祖母はその後ろでふんわりとした笑顔でついてくる寡黙にワインを楽しむ女性。
思いのほか、穏やかな雰囲気の方々であることに、ほっと胸を撫で下ろしつつも、警戒は解けません。
子連れでお金のある父と再婚する母を卑しいと思っている可能性もあるし、ましてやその子どもに対して良い印象を持っているわけないと思っていました。
けれど挨拶が一通り済んだあとに祖父が言ったのは意外な一言でした。
「この歳で新しい孫ができるなんて、こんなうれしいことはありません。」
私は驚きました。
本音だったかどうかはわかりません。内心、戸惑っていた可能性もあると思います。
それでも。そう言葉にして伝えてくれたことがとてもうれしいと思いました。
Mr.ChildrenのAnyという曲の私が大好きなフレーズ《『愛してる』と君が言う 口先だけだとしても たまらなく嬉しくなるから それもまた僕にとって真実》が頭をよぎりました。こういうことかなって。
その食事会は緊張していて、何を話したのかはほとんど覚えていないけれど、その日を境に、私は家族が増えることって面倒くさいことばかりではないのかもしれない、と思えるようになりました。
そして新しくできた父の家族は、日頃から家族での営みをとても大切にする人たちでした。
誕生日にプレゼントを渡しあい、週末には父子で電話で話し、お中元やお歳暮を贈り合います。祖父は私と会った時には、戦後どのようにして会社を立ち上げるに至ったかのストーリーをじっくりと語ってくれましたし、一度だけ鰻の名店に連れて行ってくれて、御馳走してくれました。
新しい家族の存在、について考えるとふんわりと温かい気持ちがこみあげてくるようになりました。
家族って「状態」ではなくて「行為」なんじゃないか。どんなに仲睦まじい関係もいずれは壊れるくらいに思っていた悲観的な私には、「行為」によって持続するその関係の在り方は一つの希望のように思えました。
もう働かなくていいよ。
どんなに母が仕事でつらそうでも、体調を崩しても、私には言えないこと。
それは、もう働かなくていいよ、ということ。
母の収入がなくなったら、これまでのように友達と遊んだり、塾に通ったりは当然できなくなってしまうから。
申し訳ない、と思いながら私はそこにすっかり甘えてしまっていました。
私が高3の時だったと思います。
母は、心ない言葉を並べ立ててくる、パワハラの過ぎる上司に悩んでいました。
けれど私は5教科8科目をガリガリ勉強する受験生。弟も高校生になり学費が上がる。年収を減らすわけにはいかないし、母の年齢でそう簡単に転職もできない、ということで、八方塞がりだったと思います。
私はつらそうな母に気付いていないわけではありませんでしたが、目の前の受験にとらわれて十分に気遣うこともできていませんでした。
そんなある夜。母が真夜中に来た上司からの長文の非難のメールに遂に泣き崩れて寝室にこもってしまいました。
そこで父が立ち上がりました。心配して寝室の扉の前から様子をうかがっていると、部屋からうっすら声が聞こえてきます。
「君は絶対に悪くないよ。」
「そんなひどい上司のいる会社辞めたらいいよ。」
「僕がいるんだから、お金のことは、心配しなくていいから。」
それらは全部、必死で耐えていた母が欲しかった言葉だったと思います。
父は、母の、そして私たち家族の、絶対的味方でした。
その瞬間、心から再婚してよかったと思いました。
その日、母は退職を決意し、父は私と弟の学費やお小遣いまで出してくれるようになりました。
お金を払ってくれているから家族というわけではない。けれど、あの時それは母に必要なもので、母を助けてくれてありがとう、と今でもずっと思っています。
こんなふうにして、私たちの距離は少しずつ近付いていきました。
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