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ウイスキー検定1級への道 その4

ウイスキー好きのみなさま、こんにちは。2024年2月23日(金)に開催される「ウイスキー検定1級」試験の合格を目指して勉強し、その道筋を記事にしていきますのでよろしくお願いいたします。

前回の記事はこちらから ↓↓↓↓↓

今回のテーマは「ウイスキー界の栄枯盛衰と再編」です。

1.はじめに

今回のテーマのタイトルは一風変わっていますが、
要は歴史です。
歴史は得点源とするのがたいへんなことは以前も書いたので割愛します。

ただ、今回取り上げる歴史は少し面白いかもしれません。
単純に昔々の偉人が何をしたかという年表を憶えるというわけではなく、
今日活躍する会社に繋がる歴史だからです。
また、過去も現在も人間の嗜好品に対する考え方って変わらないんだなと
感慨深くなる一面もあります。

2.ウイスキー界の栄枯盛衰と再編

そもそもウイスキーは今のような洗練された飲料ではなく、
その土地で育つ穀物を蒸溜してつくったものが原型であり、
モラルが有耶無耶であった時代に
税金逃れのために密造したその地酒をシェリー酒の空き樽などに
隠したことにより樽貯蔵→熟成が始まったと言われています。

ということで、ウイスキーの正しい始まりなどは記録になく、
飲んでいたよ!とかつくっていたよ!とかいう記録が書物にあれば
少なくともその時代にはウイスキーの原型があったのだなという程度の
とてもフワフワとした始まりがあるのみです。

それでも記録されていることはかなり昔からいくつかあります。
1172年イングランドのヘンリー2世がアイルランド侵攻の際、
ウシュク・ベーハーと称して穀類から蒸溜酒製造を行っていた
記述があるようです。
(文献を漁っているのですが原文を見たことがありませんが…)

これがウイスキーの起源かというと、難しいところですよね。
現代におけるウイスキーの定義は、
「穀類を原料として、糖化、発酵の後に蒸溜をおこない、
 木製の樽で貯蔵熟成させてできるお酒」
ですが、熟成という概念は後から備わったものなので
この時代のものはおそらく蒸溜まででしょう。
となれば今のウイスキーで言うところのニューメイクに近いものを
飲んでいたのでしょうか。

でも、ウシュク・ベーハーという発音は、
生命の水アクアヴィッテよりかなりウイスキーに近いので、
起源っぽくはありますよね。

3.出題率が高そうなものとその理由

ウイスキーの起源の候補にはもう一つ候補があります。

1494 スコッチウイスキー元年とも呼べる記述
穀物由来の蒸留酒が登場する最も古い文献として
1494年のスコットランド王室財務係の文献によれば
「修道士ジョン・コーに8ボルのモルトを与えアクアヴィテを造らしむ...」
という記述があります。

このアクアヴィテという言葉はラテン語で「生命の水」を意味し、
ウイスキーのみならず、すべての蒸留酒の語源になりました。
また、スコッチウイスキー最古の記録としても有名です。

この修道士ジョン・コーが所属していたのがリンドーズ修道院です。
その修道院跡地で2017年に創業した
Lindores Abbey(リンドーズ アビー)蒸溜所から、MCDXCIV 1494という
シングルモルトが発売されています。
(STR樽含む樽での仕上が上手い印象で、なかなかおいしかったです。)

TWSC2023の洋酒部門でこのLindores Abbeyの日本向けの商品が
最高金賞を受賞していたこともあり、
話題として扱われやすいのではないでしょうか。

ということで、明確に記録されている歴史を辿っていきましょう。


1690 Ferintosh(フェリントッシュ)蒸溜所
Ferintosh(フェリントッシュ)という町で、
1690年ウイスキーの蒸溜/販売について免税するという特権を与えられた
Duncan Forbes(ダンカン・フォーブス)が、蒸溜を始めました。

なぜ免税特権が与えられたか、その経緯を示します。
当時、ジャコバイトの蜂起と鎮圧を目論む政府軍の戦乱が続いていました。
政府側に付いたフォーブスはジャコバイトの標的になり、
フェリントッシュにあったビール醸造所とウイスキーの蒸溜所が襲撃され、
その損失に対する補償として特権を与えたのです。

ただし、1784年にモロミに関する法律が制定されるとともに
免税特権が廃止され、この蒸溜所は閉鎖となりました。

スコットランドの国民詩人Robert Burns(ロバート・バーンズ)が、
"Scots Drink"という歌の中でフェリントッシュの喪失を嘆いています。

Thee, Ferintosh! O sadly lost!
Scotland lament frae coast to coast!
(フェリントッシュよ!悲しいことに消えてしまった!
 スコットランドの津々浦々は追悼の声に満ちている!)

このFerintosh(フェリントッシュ)は記述で出題される可能性もありえます。
うろ覚えですが、Whisky Proffesionalの試験で記述があったはずです。
念のためアルファベットの綴りも記憶しておいて損はないと思います。


1824 Glenlivet蒸溜所が政府公認蒸溜所第一号となる
ウイスキーが闇の飲み物から光の飲み物へと転ずる歴史的できごとです。
1823年に酒税法が改正され適正妥当な金額になったので
翌年の1824年に密造ではなく堂々と生産し税金を納める蒸溜所が
誕生したわけです。

というのは建前です。
密造酒でありながら「スミスのグレンリベットはうまい」
そんな噂が立っており、
当時のスコットランド王ジョージ4世がお忍びで飲みに行ったそうです。
(そんな好奇心旺盛な王様ですから、
おそらくは色々な蒸溜所に密造酒を飲みに行っていたことでしょう。)
そのおいしさに感動し、
コソコソやらせて摘発代を稼ぐよりも堂々とつくらせた方が良い、となり、
酒税法を改正=税金を下げる ことをトップダウンで行ったわけです。

Glenlivet蒸溜所を納税蒸溜所にしたGeorge Smith
同業の密造者に妬まれ裏切り者だと罵られと散々な扱いを受けたようですが
結局のところ、政府公認蒸溜所だから売れたというよりは
力を持っていたから公認蒸溜所第一号にもなれたのでしょう。
公認後はウイスキーが売れに売れたようです。

そうなると周りも黙ってはいられません。
今度はこれを追いかけるように公認となる蒸溜所がでてきました。
1824年で言うと、
Fettercairn(フェッターケアン)
Miltonduff(ミルトンダフ)
Balmenach(バルメナック)
Cardhu(カーデュ)
Macallan(マッカラン)

がそうです。

なぜこの歴史をここでここまで掘り下げるのかというと…
2024年、これらのBicentenary(200周年)を迎えるからです。
なんだか試験に出そうな予感がしませんか??

この話はもっともっと掘り下げることができるのですが
試験対策という本筋から逸脱してしまうのでこのくらいに留めます。


1826 Robert Stein(ロバート・スタイン) が連続式蒸溜器を考案
1831 Aeneas Coffey(イーニアス・コフィ) が連続式蒸溜器を発明

この連続式蒸溜器はコフィースチルと呼ばれますが、
特許を取得したためパテントスチルとも呼ばれています。
BEAM SUNTORY社が所有するKilbeggan蒸溜所に展示されていますし、
Nikkaがカフェグレーンなる製品を出していますので
日本との関わりが大きく、試験には頻出の事柄です。

(滅茶苦茶個人的なことを書くと、
私はアイリッシュウィスキーファンなので、
アイルランド人ながらアイリッシュウイスキー衰退の原因をつくった
Aeneas Coffey氏は偉大とは思いながらもあまり好きになれません。)

1846 穀物法の廃止
穀物法とは、1815年イギリス議会が地主を保護するために制定した
穀物の輸入を制限する法律のことです。
穀物価格の騰貴を招き、労働者・産業資本家に反対運動が強まり、
1846年に廃止されました。

この時代、アイルランドは実質イングランドの植民地のような
不遇な扱いを受けていました。
給料が安い上に穀物法により小麦の価格が暴騰し
パンがとても高いので、主食としていたのはジャガイモでした。
(最も、当時のパワーバランスを考えると、小麦の価格が多少安くても
イングランドへの輸出というなの搾取により小麦は地元民の口には
入らなかったことでしょう。)

そのジャガイモが不作であった1845年からの数年、
飢饉により大量の死者(100万人以上)が出たので
流石にこれはまずいとなり、そもそも反対運動も多かったこともあり、
廃止されたのでしょう。

この穀物法の廃止により、
ウイスキー界に大きな変革が起こることになります。
安価なトウモロコシが大量に輸入されることになり、
人口の多いローランドを中心に出回ることになりました。

そのトウモロコシを原料としたウイスキー、
グレーンウイスキーの生産が活発になるのです。
パテントスチルの登場もあり、
スコッチウイスキーは、
・個性的で力強い地酒
・安価な原料で大量生産される軽やかな酒
の二つの選択肢をもつことになります。

4.近現代史 ウイスキーの急速な発展

この、
A 伝統的なモルトウイスキー
B グレーンやブレンデッドなど大量生産が可能なウイスキー

の間に対立が生まれます。
まぁ、今までコツコツと地道にモルトウイスキーをつくっていた
人々からすると、ポッと出のウイスキーに市場を制圧されるのは
面白くはないですよね。

ただ、安くたくさんつくれて飲みやすい酒となると
幅広い層の人々が楽しめるため、
人口集中地域では商機ととらえ規模が拡大していきます。

こうして、
・人口集中地域かつ流通が(比較的)発達しているローランドの
 グレーンウイスキーやそれを使用したブレンデッドウイスキー
・自然豊かで穏やかなハイランドのモルトウイスキー
この対立が深まっていきます。

(ちゃんと掘り下げると、1903年の原料が大麦でもその他の穀物でも、
 ウイスキーは単式蒸溜器で造らなければならないという布告がきっかけなので、
 連続式蒸溜器を使って良いかそうでないかの対立というのが正しいでしょう。)

とはいえ、実はモルトウイスキー側も一枚岩とはいかなかったのが実情です。
ハイランドのモルト蒸溜所は小規模生産のところがほとんどだったので、
ウイスキーのブレンドに活路を見い出し原酒を売ることで生計を立てる
生産者も多かったのです。

前提の整理ができたところで、年表を追っていきましょう。

1877 DCL (Distillers Company Limited) 設立
ローランドのグレーン業社6社にて結成
M. Macfarlane & Co(Port Dundas distillery)
John Bald & Co(Carsebridge distillery)
John Haig & Co(Seggie distillery → Cameronbridge distillery)
McNab Bros & Co(Glenochil distillery)
Robert Mowbray(Cambus distillery)
Stewart & Co(Kirkliston distillery)

1878 Truths about Whisky出版
アイルランドの4つの蒸溜所
(John Jameson & sons , William Jameson's Company , John Power & sons ,
 George Roe & Companies ) 
が書籍で連続蒸留方式を批判した。

1885 NBD (North British Distillery ) 設立
Andrew Usher 
William Sanderson
John Crabbie
James Watson
が協力し立ち上げる。1887年にコフィースチルにより生産を開始する

19世紀後半 フィロキセラの流行
フィロキセラ(ブドウの病気)によりワインやブランデーが下火に
市場を染めていた葡萄酒たちの供給が少なくなることで、
イングランドなどのウイスキー需要が高まった。

1903 ウイスキー論争が始まる
1909 ウイスキー論争が終結する
モルトウイスキー以外はウイスキーではないという初審から控訴を経て
グレーンウイスキーやブレンデッドウイスキーもウイスキーであると認められる。

いきなり年表が過密になりましたね。
色々なことが重なり19世紀末にスコッチウイスキーは急激に発展しました。
しかし20世紀頭にそのバブル景気が弾けて大変なことになります。
増え過ぎた蒸溜所は生き残るために合併したり吸収されたりすることになります。

当時Big5と呼ばれた
・John Haig & Co.
・James Buchanan & Co.
・John Dewar & sons
・Johnie Walker & sons
・White Horse
の5社が立て続けにDCLに買収されます。

DCLはその後もたくさんの蒸溜所を吸収し成長を続けたことは、
最終着地地点である現在のDiageo社をみれば想像に易いと思います。
ただ、実は、
1986 Guiness がDCLを買収
という過程を経ます。
当時勢いのあったGuiness社は、1985に Bell も買収しており、
これらは統合されUD(United Distillers)となりました。

さらに、業界を超えての統合が行われます。
1997年 Diageo 成立
アメリカでIDV(International Distillers and Vintners)を買収した
グランドメトロポリタングループがホテル業がから撤退し、
先述のGuinessと合併して、Diageoとなりました。

5.まとめ

今回は、まとめるの無理ですね…

1831   イーニアス・コフィーが連続式蒸溜機を発明し特許を取る
1853   アンドリュー・アッシャー ヴァテッドモルトウイスキーを販売
19世紀後半 フィロキセラ(ブドウの病気)によりワインやブランデーが下火に
1877   ローランドのグレーンウイスキー6社がDCLを設立
1855   ブレンデッドウイスキー業社がNBDを組織
1909   ウイスキー論争決着 
       ブレンデッドやグレーンもウイスキーと正式に認められる  
1986   ギネスがDCLを買収
1997    ディアジオ成立

一気に色々と進んだ近代史を無理やりまとめるとこんなところでしょうか。

今回の勉強のお供は、
Glendronach 12yo
でした。

(Glendronachってスペルを調べることなくスラスラ打ち込める自分に
 ちょっとひきました…)

ではまた次回もよろしくお願いいたします!!


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