宿題屋さん
小学生の頃、変わった友達がいた。
システムエンジニアの息子で、彼自身もパソコンが得意らしかった。
その彼がどう変わっていたかというと、宿題代行をしていた。
夏休みの宿題をさぼって困っている級友の宿題を請け負うのだ。
報酬は子供のお小遣いでまかなえる程度で、ドリル一冊で五百円だったか。
自由研究になると、ちょっと高くて八百円くらいだった。
パソコンやインターネットが世の中に普及する、直前の夏だった。
八月の最後の週に、私は彼のもとを訪れた。
テキストや、自由研究と思しき模型が山積みになっている机に彼は向かっていた。
私はどうしてもできずにいた読書感想文の依頼を受けてもらいにきていた。
「三十一日までには取りに来て。それまでには仕上げとく」
こちらを振り向きもせずにいう。
出してもらった麦茶はぬるかった。
「ありがとう。でも、大変だね。こんなに」
「別に」
落ち着かなくいう私に、テキストをめくり、眼鏡を上げながら言う。
「お金にもなるけど、勉強になるし、一石二鳥だよ」
「そうなんだ」
「あと、自分の考えたものが形で残るのが、なんか良い」
その返事に、なんとなく近寄りがたいものを感じた。
表情から察したのか、彼は私に手招きする。
近くにあった牛乳パックの模型を裏返して見せる。
「これ。仕上げたやつにつけてる。俺のサイン」
うっすらとでこぼこが付いている。彼の歯形だった。
脇に放ってある誰かからの一行日記の裏をめくる。そこにもサインはあった。
一層彼が遠い存在に思え、私はそそくさと彼の家を去った。
返ってきた原稿用紙に書かれていたのは可もなく不可もない感想文で、字もきちんと似せてあった。
中学に上がるころ彼は遠くの県に引っ越し、それから一度もあっていない。
その頃にはもうガラケーが普及していて、その時もなんとなく小学校時代のクラスメイトのことを検索していた。
その時、あまりにもセミの声がうるさくて、私は宿題代行をしていた彼のことを思い出した。
彼の名前で検索する。
宿題代行承ります、という文言がヒットした。
珍しい名前なので、彼に違いない。
布団に寝そべっていた私は起き上がり、携帯を凝視する。
驚いたことに、彼は大人になってもまだ宿題代行をしていたのだ。
しかも客は結構いるらしく、様々なスキルを売り買いするそのサイトで、数百件の取引履歴を誇っていた。
冷たい麦茶を飲みながら、宿題に取り組んでいた彼のことを思い出す。
自分の考えたものを形で残すことに意義を感じていた彼は、今もまだ請負った宿題に歯形を残しているのだろうか。
良い大人になってまで、まだ、子供の宿題代行にお金以上の意義を見出しているのだろうか。
なんとなく彼が哀れになりながらも、その後たびたび彼の動向を覗きにいく、ということを私はした。
私が哀れに思っている間も、彼は宿題代行を続け、模倣するものもでてきた。
ネットはすでに全世代に広まり、時代はスマホへ移り変わろうとしていた。
ある晩仕事を終え、なんとなくニュースを見ていると「宿題代行」の文字が目に入った。
今や宿題代行は、小学生の間で広まりすぎて問題になっているらしい。
自分で考える力が育まれなくなるのでは、とアナウンサーが懸念を示し、次のニュースに変わった。
彼の代行業の売れ行きも、最近鈍っているように感じたのはそのせいか、と合点が行った。
忙しすぎると同時に、世間から非難されてやりづらいらしい。
そしてついに、文部科学省が声明を出した。
スキルを売り買いするサイトやオークションサイトでの、宿題代行を禁止するというものだ。
彼の様子を見にいくと、アカウントを削除し、すでに商売をたたんだらしかった。
それからさらに数年経った夏の終わり、私は自分の子供の参観日に小学校へ来ていた。
夏休み開けということもあり、教室の前には自由研究が並べられている。
コイン選別機、クロスステッチ、カビの研究や紙飛行機の飛距離についてまとめたノートや模造紙。
どの作品も子供らしく、自分で取り組んだ一生懸命さが伝わってくる。
小学生の頃から、みんなの宿題を代行し、自分の考えたものを残すことにこだわった彼は、今どうしているだろう。
ふと、紙粘土で作ったペン立てをひっくり返してみる。
うっすらとでこぼこがついていて、どうも歯形のようだ。