メディアと向き合うほど、メディアの向こう側を創るためには、メディアであってはならないのではないか?
こんにちは!最近、クローズドSNSが盛り上がっているのを20代の子から聞いていよいよSNSについて来れなくなって気がしているぽぽです!
僕らは地域コミュニティメディアLOCAL LETTERを運営しているわけですが、向き合い続けて3年くらい経つけどまだまだ起こしたい・実現したいものには届いていません。
僕らが実現したいのは「ほしいまちを、自分たちでつくる」文化。いつの間にか、まちは行政がつくるもの。自分以外の誰かがつくってくれるもの。まちと自分の距離が遠くなってしまっているのが現状だと思います。
もちろん役割分担は大事だけれど、それは色んなものが想定通りにいっている状態が前提となります。いまはイレギュラーが普通に起きる時代。
あっという間にITが各産業を変えていくし、コロナがやってきてマスク姿とオンライン打合せが普通になるし、Facebookの次はInstagramだし、追いついたと思ったら、Tiktokが流行ってたりする。
まちも有象無象で常に急激な変化がおきているなかで、役割分担よりも当事者として関わったほうが圧倒的におもしろいし、自分たちがほしいまちにできる。そう、急激な変化は関わる余地が増えてチャンスで溢れています。
僕らが地域で見てきたものは、そうやって自分たちのまちをおもしろくしようとする人たち。ただ現実をみると、まだまだ大きなうねりにしていくためには足りていません。
だからこそ、ぼくらは「ほしいまちを、自分たちでつくる」文化の実現を目指しています。
ここでようやくタイトルの話へ。笑 メディアと向き合い続けているとメディアという形が最適なのか?をここ一年くらい感じている。もっというとWEBメディア+不定期イベントという形で実現したいものができるのか?
ぼくらがずっと大事にしているのはその人にとっての非日常に出会うこと。かっこよくいうと偶発的な出会い、セレンディピティと言われてたりするものです。
自遊人(雑誌)や里山十帖(メディア型宿泊施設)を運営している岩佐さんにお話聞いた際にもこんなお話をしてくださった。
何かひとつでもお客様が新しい発見をしてくだされば僕はそれだけで嬉しいんです。
岩佐さんは宿泊施設をメディアという観点で向き合った結果、地域内外から愛させる里山十帖を生み出した。
僕らもそうした価値を大事にしてきたが、ここ数年の社会の動き(メディアの動き)はどちらかというと逆になっています。すでにある興味関心に対する最適化(AI)された情報提供が主流になっているし、メディアが発信する情報に対する信頼も失われつつあります。
一方で偶発的な出会いの場がなくなったかというとそうでもなく、SNSなどを通じた友人経由が多いように感じます。信頼した人からのおすすめは最も効果的なのはずっと変わっていないですね。
こうした流れの中で僕らは偶発的な出会いをいかに多く生み出していくのか?そのために「信頼」をもっとも大事なキーとして中長期的に関係性を築ける方法、仕組みを試行錯誤しながら構築中です。
メディアとしての価値を高めることで「ほしいまちを、自分たちでつくる」文化を実現するため、7月に新たな発表があるので楽しみにしてもらえると嬉しいです!
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