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【時評】星々の落ちた辺獄で……──『ステラ・ステップ』によせて

 人の感情が計測され変換されうるものになった後、ポスト・アポカリプスの荒野に生まれた荒涼たるディストピアを背景とした、極限状況のアイドルもの。そうした状況設定から、シニシズムを読み取らずにいるのは難しい。

 忘れられがちだが、20世紀を代表するディストピア小説『1984年』の世界は戦時下だった。慢性的な物資不足と配給とによって成り立つ、生臭い極限、荒廃、衰退によるディストピア。

 第二次大戦後のディストピア、オーウェル的な想像力を基礎としたディストピアにはこのような側面がある(『未来世紀ブラジル』も『THX-1138』も同じような意匠をまとっている。それらの世界は国家的・集団的な貧困にさらされていた)。

 そうしたジャンルの前史を念頭に置いた時、ここにおけるポスト・アポカリプス的意匠──「隕石災害」というテン年代以降主流になりつつある災害を用いた導入の帰結としての世界を貫く思弁──は、ディストピアにとってなくてはならないものとして、不可分のものとして考えることができる。

 このディストピアを成り立たされているのは人の感情だ。とは言っても、それは『華氏451度』や『トゥルーマン・ショー』のような、メディアによって最大化された人間の(こう言って良ければ醜悪な)快感原則を基礎とするものではなかった。

 それは飯を食い息を吸うのと同様の、ごく自然な生理的反応を計測し変換する、そのような、ささやかではあるがそれゆえに普遍的な、人間の一機能を捉えるシステムである。

 とはいえ、その結果表れるのは「管理」ではない。ここにおいて人間を抑圧するのは先に触れた貧困であり、荒廃である。それは「感情」そのものとは何の関係もない。

 ディストピアのシステムが計測するもの、それは「感情が表れうる可能性」である。

 この作品を「アイドルもの」として成り立たせている最大のファクターはこれだった。この作品におけるアイドル──歌って踊る少女──はこの可能性を生み出す存在として、つまりは「エネルギー源」そのものを管理できる唯一の存在として、「事務所」と(スポンサーとしての)「国家」に管理される。

 こうした作品の構造には何重ものねじれがある。なぜなら、これは可能性を、いま・ここにはないエネルギーをめぐる物語だからだ。

 アイドルがもたらす高揚感──しかしそれは、ここにおいてあくまでもシミュラークルでしかない。それは人間を抜きにして成立した、十分に計測され制御される、空虚な記号でしかなかった。

 アイドルが計測され、その(生理的な)価値が変換されうるものとなったとき、そこに表れるもの。そのソリッドさ。その空洞。その、極限状況の異様な佇まいを、この作品は少女の視点から描き出す。「心を失う」という反動とともに。

 この「病」の存在は、この物語、このディストピアをきわめてラディカルなものにしている。荒廃した世界に生きる、明日を願うことができない人々と、そこから切断された、常に自分の存在が計測され変換されうるものとして扱われる世界に生きるアイドル。両者が交わることはない。その隔絶は画面の「こちら/あちら」の関係と類似する。

 そうした認識を基礎づける、その決して交わることのない、どこまでも距離の開かれた多層的な世界のかたちがもたらす絶望が圧倒的であることは、読者にも──その世界を生きることがない「観客」にも理解できる。そしてだからこそ、この「病」という存在には現実の、ソリッドな質感が付与されるのだ。

 主人公の一人であるレインがある種の機械として描かれること。しかしそれが、徐々に記憶と感情を喪失しつつある、傷ついた/傷つきつつある少女でもあるということ。それはここまでに述べてきた世界を凝縮したものであるということができるだろう。そしてそれを打ち破る「他者」として、もう一人の主人公であるハナは存在していた。

 「災害」とともに失われたアイドルの夢を体現する彼女の存在は、何かを喪失し、今なお喪失しつつある他の登場人物たちとは異なりきわめて静的だ。彼女は完成されている。成長し続ける、というところまで含めて完成されている。

 その造花のような、ある種の永遠をたたえた華やかさ、奔放さはこの作品を眩しく照らし出す。だがここで、冒頭で触れたシニシズムが蘇ってくる。

 華やかさ、奔放さ。それらがすべて、荒廃した世界におけるアイドルという存在と同じように、制御され計画されたものであるということ。その「真相」。それは「病」がそうであったように恐ろしく鋭利で、恐ろしく異様で、そしてまた、恐ろしくシニカルなものだった。

 アイドルに、虚構に救われること。その内奥にあるもの、そのシステムを、この作品は暴き立てる。暴き立ててしまう。糾弾のように、あるいはすべての花を襲う老いと死のように。

 荒廃した世界と、そこから隔絶された無機質な世界の、複層的なリアリティーの上で、そのような鋭利なシニシズムを展開した作品として、これは存在する。

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