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抱っこもできずに泣いた日々、だけど私は妻でママ!


私は3歳の娘を持つ34歳の杖ユーザーのママです。超未熟児で仮死状態で生まれ、両親は医者に「この子は全盲になるでしょう。」と言われていました。(つぐつぐさん/主婦)


これが私

成長につれ笑ったり目で物を追うようになり両親が「この子、目が見えてるよ!!」と喜んだのも束の間、2歳になっても全く歩こうとせず。不安になって病院に連れて行き、脳性麻痺と告げられたそうです。

現在は未熟児網膜症からくる弱視と痙直型の脳性麻痺による四肢麻痺があります。

脳性麻痺とは、筋肉のこわばりと運動障害を特徴とする症候群で先天的・または周産期に起こった脳損傷が原因です。痙直型、アテトーゼ型、運動失調型、混合型があります。

麻痺と言っても感覚はあります。全身の筋肉が常に突っ張った感じで、力が入りすぎると言えばいいでしょうか。

びっくりすると手足がピーンと突っ張って伸びてしまったりと、力の調節が苦手です。

幼少期の手術やリハビリを経て、今は両手にロフストランド杖という杖を持って足を引きずりながらペンギンのように歩いています。足がうまく上がらず、腰で歩いている感じですね。長距離や旅行の時などは車椅子を使います。

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杖は想像つかないかもしれませんが、ほんとにちょっとしたことが転倒原因になってしまいます。濡れている地面、草、砂利、砂、ちょっとの地面の凹凸。

本当によく転ぶんですがもう転び慣れていて、咄嗟の受け身は得意です(笑)杖よりもショッピングカートの方が歩きやすくて好き(笑)室内では壁伝い、物伝いに歩いています。


形にはこだわらない、だけど彼と居たかった

小中高は普通校へ通いました。私もみんなみたいに普通になりたいなー!いいなー!と思いながらもおしゃべりは達者で、その後行った専門学校で1つ年上の主人に出会い、口説き落としました(笑)この人と別れる図は想像できないというくらい、自然体で居れる関係でした。

私は結婚願望が強く、とても結婚に憧れていたんです。ですが彼のご両親が猛反対でした。彼の家族が彼を心配して反対していることは痛いほどわかったし、争いも反対を押し切るのも本意ではないなと思い、「結婚にこだわらなくても2人で居れるならそれもいいよね。」と2人で話し合ったんです。


付き合いは9年続き私たちの粘り勝ちとでもいいますか、やっと結婚に至りました。

親になってみて思うんですが私も娘が将来、障害のあるパートナーを連れてきたら、反対はしないけど心配はするなーと。私の両親も、もし相手にも障害があったら心配だったと言っていたことがありました。好きな人と幸せになってくれるのが一番だとはもちろん思うんですけどね。やっぱり心配はしますよね。


やっと結婚できたけど

結婚して普通に妊活をしているのになかなか妊娠せず、おかしいなと思い産婦人科に行ってみると重度の子宮内膜症が判明し、すぐに手術をすることになりました。

その後妊娠し喜んだのも束の間、最初の子は流産でした。

落ち込む私に動物嫌いな彼は猫を貰ってきてくれました。動物嫌いだったのに、今では主人は猫と一緒に寝てますから不思議なものです(笑)

猫に癒され、ほどなくして再び妊娠しました。それが娘です。


自分で子どもを世話したい!

妊娠中は大変でした。重心が変わってしまい、ますます転びやすくなりました。赤ちゃんがおなかにいるのに転ぶわけにはいきません。

外出時は必ず車椅子に乗るようにしていました。パンツや靴が自分で履けなくなり、お風呂の出入りで足が上がらず持ち上げてもらわねばなりませんでした。今までできていたことの一つ一つに妊娠後は難しさを感じるようになりました。

妊娠中は育児に対しての使命感にかられて、これは使えそうというものは全てネットで買い漁りました(笑)

たとえば歩いて抱っこは難しいから、室内は車輪付きのハイローチェアで移動させよう!抱っこや授乳の体勢維持が難しそうだから、抱っこ紐や授乳ひもを買ってみよう。部屋から部屋への赤ちゃんの移動も大変だから、ベビーベッドとは別に各部屋にそれぞれ小さい簡易ベビーベッドも完備して…と。全て完璧に整え、これで自分一人でも育児ができる!!と意気込んでいました。


ですが、いざ産まれてみると現実はそううまくはいかず、思い描いていたことは何ひとつうまくは行きません

不甲斐なさを感じて、悔しくて毎日泣き明かす日々でした。


具体的には、
・腰が曲がりにくいから、ベッドの高さが育児しやすいだろうと思っていたのに実際にはベッドからハイローチェアへの乗せ換えすら、ふにゃふにゃの赤ちゃん相手では難しかったんです。

・簡易ベッドの柵は下ろせないタイプで高さ30センチくらいの枠がありました。そしたらその30センチを持ち上げることも、中に下ろすことも出来ませんでした。

・赤ちゃんを腕に乗せてスライドさせるのが精一杯で、ベビーベッドからハイローチェアにスライドして乗せる。これが本当に精一杯で自分の姿勢を支える片手と、赤ちゃんを片手でもつリスクにいつも震えていました。


溢れる涙、打ちのめされた産後

結局簡易ベッドは早々にお蔵入りし、床の方が安全だと気づいて床生活に切り替えました。これも一苦労ではありましたが、まだこちらの方が安全でした。お互いにとって安全な方法が一番です。

夜中のミルクやオムツ替えはベッドに座ってやるのが楽で、高さのあるベビーベッドが良かったように思いました。赤ちゃんを私が寝かせることは難しく、夜と朝、夫にお願いして、日中はひたすら床育児。部屋を移動させたい時だけハイローチェアに乗せかえて移動していました。

子どもが首座りするまでの間はできない自分が歯がゆくて辛くて、立って揺らしてやれば泣き止むのに、抱っこ紐も用意したのに、私には抱っこ紐で抱っこして揺らしてやることすらできなくてなんて不甲斐ない母親なんだと。
毎日ふとした瞬間に涙が止まらないことが増え、手伝いに来てくれていた母と主人が気づいて、「大丈夫、成長していくと抱っこしやすくなるんだよ」と毎日のように励ましてくれました。

母乳を飲ます体勢を維持出来ず、いろいろ試したけれどやっぱり飲ませれませんでした。どんどん涙は溢れてくるし、赤ちゃんも飲めずに泣いていました。

何にもできない母親で、母親になるべきではなかったんじゃないかと本気で思いはじめていました。


割り切ることで掴んだ幸せ

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2か月ほど経つと成長と共に体つきもしっかりしていき、私でもお世話できるようになっていき、涙する日が少しづつ減っていきました。きっとあの日々は人生で1番泣いた2ヶ月間でしたが、それを乗り越えれたことがその後の自信に繋がりました!

実家から車で10分ほどの距離に家族3人で住んでいて、保育園や幼稚園の送迎は夫と母が分担してしてくれます。私は笑顔で娘を迎え一緒におやつを食べ、母に手伝ってもらって娘をお風呂に入れるのが日課です。私が洗って、母が娘を浴槽に入れてくれる。そして湯舟の中の娘とお話したり遊んだりしてまた母があげて拭いてくれてる間に、私も入浴を済ませることが多いですね。母が帰ると娘と2人ですごし、夫の帰宅を待っています。

抱っこで移動できればよかったんですが、子どもを抱っこやおんぶすると一歩も動けないんです。座ったままの抱っこは幾らでもしていましたが、立って歩きながら抱くことはできないと割り切るしかありませんでした。


外出する時は常に夫か母と一緒です。不自由に思われるかもしれませんが日々の買い物は宅配サービスに頼っているし、生まれつきの障害で家で過ごすことも多かったためかさほど外出できないことに対してストレスも感じません。夫が平日休みなので、娘が登園してる間に夫と日用品や子どものものなど買いに行くこともあります。

土日は娘と二人、家で過ごすことになりますが、テレビを見たり粘土をしたり、中庭で遊んだりしてると、あっという間に1日が過ぎてしまいます。夕方には母がお風呂を手伝いに来てくれて、娘を連れてスーパーにおやつを買いに行ったり、お散歩に行ったり。

赤ちゃんが逃げ回る時期のオムツ替えは大変でした。
子どもがリモコンが好きだったので渡して気を取られてる間に替えたり、和室をしめきって逃げ場を限定して追い詰めたり。私は一度座るとなかなか立ち上がれないので私もハイハイで移動しながら毎日戦争でした。
一度、うんちがついたまま逃げていって、カーペットがうんちだらけになったのは今となってはいい思い出(笑)

私は瞬時に動く事が難しいので子どもに起こる咄嗟の出来事に、普通のお母さんのように対応してあげることができません。今後娘の世界も広がっていくでしょうから、自分で自分を守れる術を教えていかないといけないなと強く思っています。


やっぱり心配、これからのこと


心配なのは、今後娘が私のことで悩むことがあるだろうということです。

周りの目、偏見、私が原因となる様々なことが彼女に降りかかった時、私は何をどう話してあげることができるのかな…。いまだに答えが見つからず、考える度にただただ自信がなくなっていくのを感じます。

夫婦関係においても、もし浮気されたら私なんかに勝ちめはないな…という乙女心が働きますね(笑)どうしても劣等感はぬぐい切れずに付きまといます。

夫が将来もし大きな病気やケガをしたら、私は身体的に支えられるだろうか?夫には頼る人がいないのに…と。
私も夫も元気なまま老いたとしても、夫や娘に負担をかけないように施設に入れないかな?と考えることもあります。

家族を支えたい気持ちと、負担を掛けたくない気持ち。家族を愛しているが故、不安になってしまいます。



育児の中で便利だったもの


ハイローチェア:抱いて揺らしてやることができなかったので、ゆりかご機能付きのハイローチェアには助けられました。高さも変えれて、そのまま移動もできて本当に重宝しました。2歳頃までは寝室に連れて行くのに本当に役立ちました。

ベビーゲート:移動できる置型のもので更に開閉ドアがついてるものでした。私はまたげないので開閉式は必須でした。今ここに赤ちゃんいて欲しいと思った時にパッとおいて安全に確保できるので重宝しました。️

歩行器:歩行器に乗せているとあちこちによじ登ったり危険な行動はしないし、機嫌よく過ごしてくれました。しっかり歩けるようになったら、自分で降りてしまいましたが(笑)

キッチンシンクで使えるベビーバス:1歳すぎまでそれでいれていました。母に子どもを支えてもらって、私が洗います。母がひとりでやった方がはかどるかと聞いたら、「お母さん赤ちゃんひとりでお風呂いれたことないよ!こわい!」というので遠慮なく2人体制で私も参加しました。体制維持が立ったままの姿勢が楽だったので私にはとっても入れやすいお風呂でした。


我が家はこれでいいバランス!

障害あって、1人でなんでもこなしてる人見てると、ほんとに凄いなと思います。私はぬるま湯につかってる甘ちゃんなのかなと思って落ち込むこともあります。

できないことは割り切って頼りますが、その分、自分にできることはしっかりしたいという思いは強いんです。掃除・洗濯・炊事、室内での子育て、私が家族にしてあげれることがちゃんとあるから、そこだけは私のテリトリーだよ!と思っているんです。


夫が料理ができない人なのも、私にとっては救いです(笑) おかげで私の役割がちゃんとそこにあるんですから。夫が褒めて喜んでくれるので、しっかり家事をこなしたいと思っています。

夫は古風なタイプで帰宅したときに掃除がしてあって料理が出てきてということに幸せを感じるそうです。私は家事をするのが好きで、それを夫が褒めてくれる。いろんな事情は家庭によってさまざまだけど、我が家はこれでうまく成り立っていてバランスがとれていると言ってくれます。

でもね、時には頼るべきことと甘えの境界線が分からなくて、ふと考えることもあります。これ以上、負担にはなりたくなくて。これは永遠のテーマですね。


まとめ

つぐつぐさん貴重なお話ありがとうございました。

してあげたいのに自分の手ではどうしてもできないことがある。その壁にぶつかった時家族に支えられ、自分にできる方法でできることを確実にやっていこうと思った。私に苦手なことやできないことがあったのと同じように、家族にもできないことや苦手なことはあって、それを私が補ってあげれる。だからここには私の居場所がある。

「できないことに固執せず、できることを探そう!私はこれを頑張るから、あなたはここをお願い!」

そう彼女のように切り替えるのは簡単なようでいて、意外に難しいこと…。

障害に応じて家族の役割を柔軟に変容させていくことを受け入れられるかどうかで、幸福度は大きく変わるのかもしれませんね。


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