特異点について
こんにちはレフトです。
今回は特異点について考えてみました。
なんだか便利になってきたなって思うこと沢山ありますよね。社会を変化させるほどのコンテンツがネットには転がっています。特に個人的にめちゃくちゃやばいと思うのが「アマゾンプライム」です。
家にいながら買い物ができること自体はそれほど最近のことというわけでもありません。しかし「アマプラ」は少し月額を払うことでめちゃくちゃ快適に買い物ができます。僕もめちゃくちゃ利用していますが、腐ったりするのが早いもの以外はほとんどアマプラで買っています。例えば普通の人って、月一で家電量販店に行ったり、週一くらいでスーパーに行ったりしますよね、本屋にだってたまに行くし、百貨店にも行く。しかもそういう店をはしごする時すらありますよね。この時使ってた時間は決して無駄とまでは言いませんが、少なくとも移動時間は無駄と思っている人は多いのでは?まとめ買いをするために車を使ったり、そのためにガソリンを入れたり、そういう手間がめっちゃ減りました。ついでに映画なんかも見れちゃう。
つまりめちゃくちゃ便利になったてことです。
さてここで僕はふと考えました! 物事がどんどん便利になったことを自分はどう考えて感じているでしょうか。「生活が豊かになった」「面白いことが増えた」「今まで見えていなかったものが見えた」いろんな窓が開けたような感覚があります。なんだかいろんなことが嘘みたいに楽になった気がします。
きっとこれ「アマプラ」だけじゃないですよね。いろんなサブスクが世の中にはあふれていますし、無料で使えるサービスもネット上では増え続けています。買い物だけではなくて音楽や健康管理もアプリでどうにかなります。
そんなこんなで世界はもっと便利になっていくと思うんです。「なんだいいことじゃないか」といった感じですが、でも思うことがあります。
「これってスマホとかあればほぼだれでも受けられるサービスだよな」
「例えば僕よりも怠けないやつがいたとして、こういうサービスをめっちゃ活用してきたら勝てないんじゃね」
「僕よりも遅く生まれたやつはもっとこういうものに慣れ親しんでいるのでは?」
「便利になって節約した時間を自分の成長に使っている奴がいるとしたら」
そんな風に思って夜も眠れません(笑)
未だに競争の色が濃い社会です。僕たちの社会がよくなっていると一概に言えるかは置いといて、多分便利になってきていることは間違いないと思います。コロナの影響下で、何となくアナログ派を語っていた人もデジタルなデバイスやサービスをうまく利用しようと試みたケースも多かったはずです。
今の僕たちには「自分で得たもの」と「与えられたもの」をちゃんと分ける能力が昔ほどありません。
それは「ハングリー精神」がそうさせるものだからです。「これは俺のものだ」と離さないようにしっかりと握りしめていたい、ゆえに得る感覚だからです。でも「アマプラ」を使えばちょっとしたものなら替えがすぐに聞きます。「替えが効く」という言葉も「究極的には」ではなく「割とたやすく」に代わってきているのではないでしょうか。
もしこのまま便利になり続けた社会が「特異点」「便利さを最大値まで極めた社会」を技術や制度で実現したとして、対価として払っているのは、僕たち成長過程の人間のパラメーターの一番とがった部分という個性なのではないでしょうか。だんだん人はその便利さに気付くので、最初から全人類は「アマプラ」を使えるし「スマホ」を持っているような世界がきっときますよね。勇者のパラメーターに「サブクスを使いこなす力」が追加されているかもしれませんね。今の若い世代が年を取った時、僕たちの持っている一番強い個性はなおさら埋もれやすくなるでしょう。パラメータの数も、初期値も変わってくるからです。加えていい社会で育ってきた若い世界の方が圧倒的に強いからです。古い世代が汗水たらして覚えた地図は今ではスマホで見れますよね。そういうことです。
要は偉くなった気になってはいけないということなんですかね。「これはあくまで社会が与えてくれたものだから僕はまだ何も成長していない」ということをしっかりわかっていないと、多分ほんとに成長することをやめてしまいそうで、その先に不幸が待っていることが何となくわかってしまった。
あくまで僕は決してプラスにだけこういう変化を見ないようにしようと思ったという、机上の空論的な話でした。
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