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【エッセイ】僕らすでに知っていること

世の中には、少し難しいことがある。

そしてそれは、ひとつやふたつではない。
けれども、どれもこれも、大切なものだと、僕たちはきっとそう思っている。

大人になるとわかってくることがある。
何かを大切にしていくことが、どれほど難しいか、とか。
何かを守っていくことが、どれほど難しいか、とか。
何かのために頑張ることが、どれほど難しいか、とか。

僕らは難しいと言う。

けれどもそれが、大事なんだと思っている。

良い人生を歩むには、そのことを、弁えておかないといけないと考えている。

けれども一つだけ、譲れないことがある。

誰もが、望んで生まれてきてはいない。

友達は言う。そんな悲しいことをいうなよ、と。

僕は言う。悲しくなんかない、と。

僕らは、だんだん言葉に鈍感になっていく。悲しいという感情と、辛いという感情の区別がつかなくなってくる。
だから、辛いことを、悲しいと言いたくなる。
時々それは、正しいことのように思える。

けれども振り返ってみれば、
自分はどうやって今の自分になったのだろうと、振り返ってみれば、
辛いことばかりだったのではないのか。

辛いこと、苦しいことだけが、己を成長させてきたのではないのだろうか。

それを、悲しいと呼んだだろうか。

目の前の子どもが辛いと言い、それでも、もがき、うんっと頑張っているときに、僕らは悲しいと言うのだろうか。

なぜ、僕らは、
お互いの辛さを悲しいと形容するのに、
子どもの辛さに、希望を見出すのだろう。

だれひとり、望んで生まれてきたことはない。
おとなもこどもも、みんな辛くて、みんな痛くて、みんな知りたい。
生きている限り、ずぅーっと痒い。

だから
想像してみてよ、大人諸君。
君の子どものことを。
君の目の前に子どもがやってくるときのことを。

君は、君じゃない誰かの幸せを願う。
そう、子どもの幸せを、無類に願うことになる。
君が望んだ子どもだから。
そして思い出すことになる。
君もまた、誰かと誰かの、子どもだったこと。

彼らは、ただただ、そこにいる。
一生懸命身体を捻って。
思いっきり泣き叫びながら。

見てみてよ、一生懸命、手を伸ばしている。
空を空と知らず、雲を雲と知らず、光を光と知らずに。
手を伸ばしている。
まさしく人生を歩んでいる。
僕ら大人には、想像できないほどの速度で。
恐ろしいほどに前だけを見て、決して振り返らずに歩いている。

本当に大切なことは何だろうか。

大人になるとわかってくることがある。
何かを大切にしていくことが、どれほど難しいか、とか。
何かを守っていくことが、どれほど難しいか、とか。
何かのために頑張ることが、どれほど難しいか、とか。

けれどもきっと

君の子どもたちは、君にきっと教えてくれる。
愛することのたやすさを。

愛すべきものがあるんだ、僕らには。
その道の先に。
ねぇ、大人諸君。
僕ら、振り返りすぎちゃいないかい。
来た道を戻って、自分の足跡を消しちゃいないかい。

その土をもう二度と踏まぬと知りながら
歩んだはずのその道を
戻ってきちゃいないかい。

僕らみんな、かつては、ものすごい速度で、
前だけを見て歩いていたじゃない。

僕ら、また前向いて歩こうよ。
ひたすらに、進んでいよう。
立ち止まることも、
躓くこともあるけれど、
まだ見ぬ子どもたちが、
まだ形を持たぬ生命が、
その先に待っているんだから。

遠回りでいい。
迎えに行こうよ。

きっとそれが大切なことだって
僕らずっと知ってるんだから。

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