フランツ・カフカ「掟の門」

 書き方は至って平易だ。門番が門の前で、門を通ろうとする旅人を拒絶する。旅人は何十年も、死ぬまでその門の前で許可されるまで待ち続ける。その間、旅人は懇願してみたり、次々に贈り物にしたりした。旅人が死ぬ間際、旅人は最期に門番に問いかける。
「誰もが掟を求めているのにどうして私以外の人はこの門に入ろうとしないのか」
 門番は答える。
「そもそも、この門はお前ひとりのための門だった。さぁおれはいく。門を閉じるぞ」
 そう門番は消えて、門は閉じられてしまう。

と言う具合のお話。
 ここで門番に対する解釈が色々分かれてくる。それは掟という言葉の通り、法律であったり、権力であったり、カフカ自身に対して厳格だった父として解釈されることがある。旅人は最期まで厳格な父に逆らえなかったカフカ自身かもしれない。色々、門の存在について憶測することができるが、ここで門に関する解釈の話をするつもりはない。

旅人がしたこと

 まず何十年も門の前で待ち続けている。さらに門番に対して、許しを得るために手を尽くしたとまで文中で表現されているのだ。最期には門番に「欲深い奴だ」とまで言わせている。
 門番に「門の先はもっと怖いぞ」と脅されて、掟の門に飛び込まず、門番にばかり許しを請う主人公を臆病者だと評することもできる。
 しかし、ただの臆病者が何十年も1つの門の前で待ち続けられるものだろうか。だとしたら、それはそれは欲の深い臆病者である。
 剣を持ってきて、門番に振るうこともできただろうし、遠くから矢で門番を射ることもできたかもしれない。門番が寝ているときに、後ろからぐさりと刺してもよかったのである。そんなこともせず、何十年という時を「待つこと」に徹するというのは、もはや異常である。門の先よりも、旅人の方が底知れない。
 確かに掟の門の前では「掟を破る」というのも変な話だ。でもそれなら諦めてもいいのだ。なぜ彼は待ち続けたのか。

本当に望んでいたこと

 旅人の彼が本当に望んでいたのは門を通ることではなかったのではないだろうか。そうではなく、「門番に許しを得る」ことを望んでいたのではないか。文中にも「門を通るため」ではなく、「門番に許しを得るため」手を尽くしたと述べられている。
 もし自分のやりたいことがあって、でもそれを拒む大事な人がいたとき、むしろ大事な人にやりたいことを認めてもらいたいとしたら、旅人と同じことをする人もいるんじゃないだろうか。

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