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東京暮らしをやめることにした。

私は、田舎で生まれ育ちました。田舎といっても、そんじょそこらの田舎ではありません。本気の、純度100000%の田舎です。

見渡せば海、そして山。昼間は外から、船が走る音が聞こえます。頭の上に広がる空を遮るものはなく、高い空をとんびが飛びます。そして、夜は降ってくるような星空。大きな道路もなく、電車なんてありません。公共交通機関は、バス、もしくは、船。

自然に囲まれ、海で遊び、川で遊び、山で遊ぶ。それが私の「普通」の幼少期でした。

そんな環境で育った私は、かなり幼い頃から都会への憧れを拗らせ始めました。都会、というか、田舎に、地元にないものへの憧れ。

電車に憧れるなんて、当たり前。踏切にも憧れました。信じられないかもしれませんが、歩道橋にも。階段を登ってまで渡らなきゃいけないような、広い道路なんてありませんから。

あとは、コンビニ。わたしにとってのコンビニは、夜は閉店するデイリーヤマザキか、個人商店(もはやコンビニではない)。都会のシンボル!と思っていたのは24時間営業のローソンやセブンイレブン。遠距離ドライブの間は、どうにか少しでも家の近くに「都会の」コンビニがないかと周りを見渡しました。

小さい頃、父親が運転する車で、片道2時程かかるマクドナルドに行くのは、そりゃあもう、とんでもない大イベントでした。当時のわたしは車に酔いやすかったのに、それでも、家族でマクドナルドに行く興奮は車酔いの不安を上回るものでした。そして注文するのは決まって、フィレオフィッシュ。あの頃は、青い発泡スチロールの箱に入ってました。車に酔いながらもわざわざ2時間かけて行ってるというのに、ハンバーガーではなく「フィレオフィッシュ」。正直に言いましょう。チェーン店がない田舎で育ったおかげで自然に舌が肥えていたあの頃の私にとって、マックのハンバーガーはちっとも美味しくなかったんです。特にパテ。なんだこの硬い肉もどきは!って思ってました。なので、苦肉の策のフィレオフィッシュでした。
それでもマクドナルドは「都会」で、「憧れ」でした。
(注:今は美味しくいただいています、マック大好き。I'm loving it.)

都会への憧れを順調に拗らせまくりつつ育ったわたしは、小学生の頃から親に都会に出たいと伝えていたマセガキでした。そしてその言葉の通り、中学卒業と共に進学のため単身東京へ。若干15歳にして、憧れの地の住人となった私。しかも学校から寮だと言われて引っ越したのは、まさかの、ただのマンションでした。一応管理人がいましたが、ほぼひとり暮らし。電車も踏切も歩道橋も、ローソンもセブンもマクドナルドも乱立する夢の都会で、15歳のくせにマンションでひとり暮らしです。信じられない変化です。夢が一気に現実となり、わたしの感情は爆発状態。引っ越して1ヶ月くらいで標準語を頭に叩き込み(方言から標準語へ脳内翻訳してました)、友達をつくり、東京に住んだ15歳から16歳までの約1年間、ほんっっっっっっっっとうに隅から隅まで、毎日、寝ても覚めても東京を楽しみました。・・・おい、勉強はどうした。

(そして1年後には、ぶっ飛んでアメリカに長年住んだのですが、またそれは別のはなし。)

そして時は流れ、帰ってきた日本。地元には戻らず、東京で就職活動をして、すぐ仕事を始めました。で、結婚して、子供産んで。今。気づいたら、約15年。その間で東京に徐々に慣れ、憧れだった都会での生活が普通になっていきました。


そして40歳になる今年。
住まいを、東京から、地方、田舎に移すことにしました。


理由は簡単ではなく、様々な希望や、理由や、状況が絡み合った上での決断です。都会は何でもかんでも値段が高いとか、狭いとか、そういうのもあります。ですが、掘って掘って掘ったわたしの根元にある理由は、生まれ育った、自然に近い生活を欲した、ってことだと思われます。

正直、「大丈夫か?」って思うことがあります。あんなに小さい頃から都会を夢見て、15歳で田舎から飛び出した自分が、田舎にまた住むって。

まあ、今更ひるんだって仕方ないんですけど。
だってもう、家、買っちゃったし。ほぼ勢いで。


そんなわけで、地方移住備忘録、そしてマイホーム備忘録。
ちょっとづつ残そうかと思います。


写真は、今年の1月、たぶん2度目の内見の時の帰りに、お昼ご飯を食べたお店の外。これ、ラーメン屋さん。ラーメン屋さんっぽさ皆無ですが。







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