🤍争いへの憂いと似非について思うこと


ハクです、おはようございます!
note書くのは久々です。

最近は自分の人格のトリガーを理解して意図的に引き出したりしてました。

それはまた別の記事に書きますが。

争い、特に精神疾患患者同士の争いについて思ったことがあったので書きたいです。

統失は○○だから嫌い

IQ低いやつは○○

解離は○○

BPDは○○


こんなふうに、日々暴言を吐く人々が散見されますね。

でもね。精神疾患患者同士である限り、あなたも誰かにそういうふうに思われている可能性があるよ。って思ってしまうんです。

要するに同じ穴のムジナと思われてるかもよって。

キツイ言葉ですね。

私は、いかなる疾患を持っていても差別しませんが
その代わり本人のパーソナリティ(パーソナリティ障害という意味ではありません)で線引きします。

"疾患を抜きにしてその人がどういう人であるか"です。

同じようなことに見えて、違うことです。

だから これだから統失は!!!って差別意識を隠そうともしない方、ビックリします。




次は、解離性同一性障害における似非に関してです。

あ、ちなみに私が似非と思われる可能性に基づくものではないです

結局私が思ったのは、当事者から見て明らかに他者が似非であったとしても、

当事者であるその人は医者ではないので"診断"する資格はないということ。

そして、医者も医者で、"本人ではない"のです。

どういうことでしょうか。

人格の有無、本人にしか分からないんです。

医者ですら分からないんです。

だから"自称"を信じるしかありません。

構ってほしいがための作病に腹を立てる気持ちはこれでもわかります。

でも、○○が○○だからこの人は似非なのでは…
○○ってことは似非だ!(自論)

そう言っているあなたはその相手の脳を開いて見たことがありますか?という話なんです。

最後にキツい言葉になってしまうのですが、つまらないことで争ってる界隈だなあという感想です。

みんな優しくなれるといいよね。

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