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修行みたいな人生はつらいー存在の耐えられない軽さ

修行みたいな人生はつらい。みんなこんな風に思って生きてるのか、それとも違うのか?
後どれだけ生きていくのかなというのが分かれば、計画を立てて我慢しようと思うけど先が後どれだけあるかわからない人生はなんか辛いといつも思う。
若い頃に母に、こんな修行みたいな人生はいい加減にやめたいみたいな話をした時に、辛くない人生しかなくて生きていくっていうのは辛いことしかないと言われた。それからずっと変わらず同じ感じで生きている。母は生きるのは辛いことみたいなことしか言わない人で、いつも私を絶望させてきた。普通の家のお母さんはどうなんだろうといつも思っていた。
祖母の面倒を見ていた時に、よく祖母は長生きしたいと言っていて、そのセリフを聞くたびに長生きしたいと思える人生はとても幸せな人生だといつも思っていた。それは、その人がそれまで経験してきたことが、それなりに楽しめてこの先その状態でも存在していたいと思えるからだ。
子供がいたりすると、自分の存在が子供の人生に大きな影響を与えたりするから、自分が辛いとか辛くないとか以前に生き延びる義務感みたいなのがあって、それが自分の存在の理由になって羨ましいと思うことが多い。
定期的に健康診断を受けるのも自分の存在が許容できるかできないかによるんだろうなと思う。もし何か見つかって、すぐに対処するのは少しでも長くこの世に存在してするためだからだと思う。この世に自分が存在するための理由というか自分に与える許可みたいな感じで。
時々この病気にかかって治療すれば長生きできるけれど、その病気が見つかって治療を拒否する人はいるのかな?と考えることがある。
前にドラマで、自分は死んでもいいと言って治療を拒否する患者さんがいて、その時は若手の先生が頭を下げて患者さんに治療するのをお願いして治療をうけさせるというのを見た。その若手の先生は、先輩先生にそれが医者の仕事で、それができない医者は医者じゃないという風に言われ、その患者さんを説得にかかった。でも、それはドラマの中だけで、現実社会でそんなこと起きるのかな?と思ったりする。
どこかが痛いとかで病院に行った時にもうすでに手遅れで余命があんまりないと告げられた人の中で、人生の先が見えてホッとした人というのはいるのかなといつも思う。
もうちょっと存在しても辛くない感じで生きていく方法はないのかといつも思う。

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