第3話 リペア作業員として働くぼく

シダラとはじめた、16歳同士の「就職活動」はとても単純明快であった。ハローページの求人枠を見るポイントは「お金がいっぱい稼げる」だけであった。そのポイントを絞ってハローページをみていくとシダラが「おい!この求人いんじゃないか」とぼくに見せてきた。「どれどれ、、、マンション、アパートのリペア作業院募集か、、リペアってなんだ?」とシダラの方を見る「おれも知らない、、」なにもわかっていないぼくたちは求人を読んでいくと新しく建ったマンションやアパートの家具やフローロングの修理作業のようだ。「こんな仕事もあるんだな、、とりあえず受けてみよう!」と早速、ハローページにある電話番号に電話した。今思えば若いというのは本当に素晴らしい。あの行動力はなぜ、歳を取るごとになくなっていくのか、、

ハローページの求人に電話したぼくたちは早速船橋にある事務所との面接日を取り決め、2人で面接を受けた。まあ16歳の若者2人が来たということで相手もとりあえず働いてもらおうと思ったのであろう、その場で採用が決まった。そして16歳のぼくたちの「就職活動」は1社目で終了し晴れて「社会人」となるのであった。

仕事はとても楽しかった。働きはじめてからは毎日、5時の始発電車に乗り込み、砂町に新しくできる高級マンションの現場に通った。はじめての現場がとても大きかったので毎日残業があり、帰る時はいつも終電、地元に帰る時には日付が変わっていることもあった。でも仕事は本当に楽しかった。シダラという友達がいること、「自分はもう社会人なんだ」という自負、周りの学生より社会に早く出たという感覚に酔っていただけかもしれないがあの体験をできたことはぼくのこれかの人生の中で大きなものであった。ここでぼくの「働くことは楽しいこと」という人生観が強く刻まれたように感じる。そんな青春時代を過ごしてきたがそれは長くは続かない、、通っていた通信高校の卒業が間近に迫ってきたのである。

親からは「お前、高校卒業したらどうするんだ?大学に行かないのか?お前が行きたいなら学費は払ってやる。公務員はいいぞ!」公務員一筋の父親はいつもぼくにその話題を振ってくる。「公務員なー、、」なんていっていつも話を切り上げるのがいつもの日常であった。ぼくは「今の仕事も楽しいしこのままでもいいや」という気持ちと「進学しないといけないのかなー」という気持ちが揺れ動いていた。そんな中いつも通り、ぼくは仕事に向かった。時期は冬、その日は昨日の夜から雪が降り、千葉県にしては珍しく雪が積もり一面銀世界であった。しかし作業員のつらいところはそんなことお構いなしに仕事はある。現場では大きなドラム缶がストーブ代わりに煌々と燃え盛っていた。そこにぼくもシダラも休みになると暖をとりに行くのが最近の日課だ。その中でも自分の今後について漠然と考えていた、、、

そんなことを考えながらドラム缶の前で暖をとっていると4人組の作業員のおっちゃんが集まってきた。そしてとても楽しそうにきゃっきゃと話しているのだ。ぼくはその姿が気になり目をやるとボロボロの大人の本をみんなで見ていたのだ。そんな光景は今までもよくよく見ていた。なんなら一緒に見て楽しんだこともある。しかしその時は違った。その時ぼくの気持ちは「これから10年、20年働いていく中でこのままいけば自分も同じようになるのか、、本当にこのままでいいのか、、」という気持ちが強く生まれたのである。誤解がないように伝えておきたいが決して職種やその環境で働く人たちを否定をしているわけではない。「職人」という仕事をとても尊敬しているし現場での仕事は本当に楽しかった。しかし18歳になりこれからのことを考えているぼくの中は大人になっていく自分を今の環境に当てはめて考えることが出来なかったのだ。この体験をしたことでぼくの中に「進学をしよう、、父親は学費を出すと言ってくれたじゃないか、、そんな恵まれていることはない。なにか挑戦してみよう」

とても寒く雪が深々と降り続ける中、ぼくはひそかにこの環境を変えて「進学」することを決めた。そしてこの決断がぼくを「福祉」の世界に飛び込む最大の要因となる、、、

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