障害福祉で働くぼく、、(これは現在32歳、色々あって障害福祉の世界で働くぼくの物語、、)

第一話 16歳のぼく、、、

2011年1月

ぼくは千葉県成田市で人生初めての就職面接に臨むべく父親から借りたボロボロのステップワゴンの中で自分で作成した履歴書を読みかえしていた。

ぼくは平成元年生まれの22歳、周りは昭和生まれの方が多く、会う人会う人に「え!平成生まれなの?」「うわー、、ついにこの時代が来たか、、」と言われ続けた。ぼくの同級生は昭和63年生まれ、感覚的には僕も昭和生まれであるが生年月日が「平成」であるためこれは致し方ない、、、

ぼくは大学生当時は東京清瀬市に住んでおり、近くの人には「池袋から電車で15分ぐらいの所に住んでるよ!」と少し誇張した自慢をしては東京での生活を楽しんでいたが大学4年になり就職活動が近づいてきて「東京で暮らすのはもう疲れたな―」と感じ始めていたので地元の千葉県に帰る決意をする。そこで就職先として白羽の矢を立てたのが今でも勤務する社会福祉法人だ。

なぜその社会福祉法人での就職を希望したかというとぼくはこの社会福祉法人に専門学生時代に実習で2週間ほどお世話になったことがあるからだ。ぼくは高校を1年で中退した。理由は中学生時代から打ち込んできて高校でも頑張っていた軟式テニス部がなんど一年も経たずに廃部になった。そしてその情熱がオートバイにそのままシフトしてしまい見事に学校に行かなくなった。そこからは想像の通り、オートバイに乗っていることが学校にばれて休学処分、当時の進路指導担当から「反省文を書けばすぐに復学させてやる」と言われたが僕は「それなら学校を辞めます!」と一言、今でも思い返せばなんという若気の至りであろうか、、、そのまま高校を中退し通信制の高校に編入した。大見えきって中退したは良いがぼくは「高校中退、中卒はまずいよな、、」という打算的な気持ちもあった。その時父親が「お前、バイク欲しいんだろう。知っているか?16歳だとローンも組めないんだぞ。お前が通信制の高校に行き直すなら俺の名義でローンを組んでやる」と言ってきた。ぼくは高校は卒業しなくてはいけないだろうという気持ちからその提案をありがたく受けた。今思えば父親のこの提案は感謝しかない。しかし父親からは「しかし働くことが条件だ。当然バイクのローンは当然お前が全部払え。一回でも滞ったら売るからな。」と一言、そのことの大変さを知る由もない僕は「当然だろう!」と意気揚々に答えた。そこで父親がもう一言「学校を辞めて日中働き始めたらお前はもう立派な社会人だ。俺もなにも言わない。責任を持って生きていけ」ぼくはこの言葉がなぜかとても嬉しかった。仕事人間である父親はどちらかというと厳しいタイプの親でひっぱたかれてことは多々ある。その父親が16歳のぼくに「おまえも社会人だ」と言ってくれたことが嬉しかったのだと思う。ここからぼくの「社会人生活」が始まるのであった。


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