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ストラスブールの街を彩るイル この川はラインの末裔 この存在なしには街は語れない
クロード・モネ(Claude Monet,1840年ー1926年 ) フランス人 画家 作庭家 モネの家の2回目です。 モネはグルメで知られていたことは前にも書きました。 絵が売れる前は食うや食わずの生活をしていましたから、その反動が出たのかもしれませんね。 モネ家の食堂は、今と違い黄色の色調で統一されています。 家具は黄色で塗られ、天井から下げられた照明からも黄色の光が緩やかに部屋に投げかけられています。 そして、この黄色の部屋の床には、紅白の市松模様のタイルが敷き詰
モネの家 ジベルニー フランス クロード・モネ(Claude Monet,1840年ー1926年 ) フランス人 画家 作庭家 1883年から死ぬまでジベルニーに住みました。 画像はそのモネの家です。 シンプルに薄い水色の壁に、灰色ががった水色の線で装飾が施されています。とてもシンプルであって、かつ十分な装飾性が感じさせる部屋になっています。 ソファーは同系色の枠に、ベージュを基調にした植物柄のファブリックが、外の庭とシンクロしていきます。 この部屋は前の部屋からエン
クロード・モネ(Claude Monet,1840年ー1926年 ) 彼はジベルニーの地で、精力的に制作活動を行いました。 それ以外の大半に時間を庭造りに注ぎ込んでいたといわれます。 それが見事に実り、こうして今も『モネの庭園』として私たちの目を楽しませてくれています。 私が訪れた2022年10月はちょうど紅葉の時期でした、紅葉した木々と、まだ盛んに咲き誇っている様々な種類の花が、すばらしくきれいであり調和的であり私たちをやさしく包み込んでくれました。 池に映し出される
2022年10月フランス ノルマンディー ジベルニー訪問 モネの庭園に至る道 この先歩いて行ったところにモネの庭に入る入場券売り場があります。 クロード・モネ(Claude Monet, 1840年11月14日 - 1926年12月5日)『ウイキペディア』 フランス人 画家 印象派 この日は天気があまりよくなかったので、空の色が出ていませんね。 その分何となくアンニュィな感じが出てそれはそれとしていい感じだと思います。 この壁、石造りの壁を漆喰で塗り固めたような作りで、
★思わず言葉を失う サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 フィレンツエ 今までヨーロッパでたくさん教会を見てきました、ミラノのドゥオーモも尖塔が美しく感動しました。 しかし、この『サンタ・マリア・デル・フィオーレ』教会を見たときは、本当に驚きで言葉を失いました。 外壁は純白に大理石を基調に、緑、ピンクの大理石によって華麗に化粧されています。 他の国では見たことのない外観です。 ファサードも、立体的な広がりの中で、円蓋が存在感を主張しています。『花の聖母マ
ティノ・ロシ庭園 野外彫刻美術館 このティノ・ロシ庭園のティノ・ロシ(1907-1983)についてです。 彼はコルシカ生まれの歌手、俳優です。彼の甘いマスクと、ヴェルベットのような歌声は、フランス人の魂を激しく揺さぶりました。 ロシは2000曲余りを録音しなんと2億枚のレコードセールスを記録したといいます。(この時代のレコードセールス2億万枚はヤバイ) 私の父親が時々ティノ・ロシをレコードで聴いていたのを覚えています。 今ではそのレコードは失われてしまいましたがのちに
「三美神を伴うヴィーナスから贈り物を授かる若い婦人」 (1483-1485フレスコ) フィレンツェの近くのヴィラレンミに1階に描かれていた作品と表示されています。 私はボッティチェリの描く女性の姿が好きです、とても優美で、ちょっとしたしぐさや動きに繊細さを感じます。 三美神とヴィーナス、その手には象徴的なものは何も持っていませんが、キューピットは若い婦人のそばに伏し目がちに控えています。 ヴィーナスは若い婦人に何かを渡しています、たぶんこの若い婦人がこの作品を発注
ウフィッッイ美術館 35室 レオナルド 東方三博士の礼拝 本作『東方三博士の礼拝』は『レオナルド・ダ・ヴィンチ』が29歳の時に、「サン・ドナート修道院」からの注文で、着手したもので、この時代、彼の父親がこの修道院の顧問をしていた関係で、父親が口を聞いたのではないかといわれています。 納品期限は3年、制作料の代わりに土地が代価として支払われるという契約だったようです。 この作品は結局未完のまま『レオナルド・ダ・ヴィンチ』はミラノに移り住んでしまいます。 本作を
★ボッティチェリ 聖母戴冠 ウフィッッイ美術館 フィレンツェ 聖母戴冠 1488-1490 1488年頃に金細工師組合から、『サン・マルコ教会』内の組合の守護聖人『エリギウス』の祭壇の為に発注されました。 『ボッティチェリ』40代前半『豪華王ロレンツオ』健在、ウマニストたちの活動も活発で、まさに『ルネサンス』も『ボッティチェリ』も脂の乗り切った時代で、『ルネサンス』を代表する作品です。 ただし、この作品は当時とするとかなりユニークな構図で、上下二層に分割されてい
★悲鳴が聞こえてきそうな アカデミア美術館 コロッソ広場 『ジャンボローニャ』『サビーニの女の掠奪』『コロッソの大広間』 最初私はこの彫刻を見たときに古代ローマの彫刻家の作だと思いました。 しかしこの作品は、『ジャンボローニャ』の作品でした。 『ジャンボローニャ』は1529年に生まれ、1608年に亡くなった、フィレンツェのマニエリズㇺの彫刻家です。 この作品のタイトルは『サビーニの女の掠奪』というものですが、この作人は彼がほかに手掛けるもっと大きな彫刻に習作だっ
★フランチェスコの特別の部屋 トリブーナ ウフィッッイ美術 第18室 トリブーナ 『なんて美しい部屋なんだろう。』これがこの部屋を見たときに私の印象でした。 『トリブーナ』(特別展示室の意味)はトスカーナ大公『フランチェスコ1世・デ・メディチ』が自分のギャラリーとして作った部屋です。『フランチェスコ1世』は、『老コジモとレオノーラ』の子どもです。 当時の『トリブーナ』には現在とは違う絵画や彫刻が置かれていました。2012年の改修により壁面の絵付けが復元され、現
★西から風が吹いてきたら 春 ボッティチェリ ウフィッッイ美術館 『春』 1482年 この作品はあまり絵画に興味のない人でもたぶん目にしたことがあると思います、美術の教科書にもこの作品は紹介されていると思います、ルネサンスの代表的な画家『ボッティチェリ』の数ある作品の中でも代表的なものです。 この作品は『ロレンツオ・デ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ』のために描かれたものといわれています、このロレンツオは『豪華王ロレンツオではなく』豪華王のまた従兄です。彼が
★サンドロ・ボッティチェリ ウフイッツイ美術館 フィレンツェ 今日から何日かかけて、『ルネサンス』の巨匠に数えられる『サンドロ・ボッティチェリ』とその作品についてお話ししたいと思います。 彼は、1445年にフィレンツェに生まれています。兄の『アントニーオ』が金細工の工房に弟子入りしていたので、『サンドロ・ボッティチェリ』も、この工房にかかわっていたと推測されています。 1464年ごろからは破戒僧『フィリッポ・リッピ』の工房で学んでいました。 さて作品を見てみま
ひときわ輝きを放つ ウフィッッイ美術館 フィレンツェ イタリア さて、今日からあなたと歩くのは『フィレンツェ』に数ある美術館の中でも、ひときわ輝きを放つ『ウフイッツィ美術館』 『ルネサンス』時代の美術品が所狭しと展示されています、そしてそれだけではなく、建物自体の美しさもまた格別なものがあります。 画像は『ウフイッツィ美術館』のエントランスの風景です。 『ウフイッツィ美術館』の行き方は大聖堂から『カリマラ通り』を南に下っていくと『ベッキオ橋』に突き当たります、