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「ありがとう、大好きだよ」を安売りしているわけじゃない

 私が日頃心がけていることの一つに、「ありがとう」と「大好きだよ」を相手にふんだんに伝えるということがあります。これはもう10年近く前から続けていることで、これからもずっと続けていこうと思っていることのひとつです。

 私が美味しそうにご飯を食べることにこだわる理由は以前書きましたが、今回のこれにも、あるきっかけがあります。
 私は、今までの人生17年間で一度だけ、身近な人を亡くしてしまったことがあります。身近というにも烏滸がましいかもしれませんが、その方は、私が2年間通っていた茶道教室の方でした。

 実は、こう見えて私は幼稚園の頃から趣味で茶道を習っていて、ある日、本気で茶道をやりたいと一念発起し、10歳の時に教室を変えました。新しい教室は、祖母の60年来の友人がやっている教室でした。
 茶室に入ると、そこにはすでに2人の生徒さんがいらっしゃいました。その教室は新しく入った私も含めて生徒は3人で、1ヶ月に一度、先生と生徒の都合に合わせて開かれている、ちいさな教室でした。その2人は何年も前から一緒に茶道を習われていて、1人は40代の美奈さん、もう1人は60代の田原さんといいました。ふたりは当時10歳の私をとてもかわいがり、とても良くしてくださいました。


 「鯨ちゃん、くろもじ持っとるかな?」1番最初のお稽古の時、田原さんが私に声をかけてくださいました。くろもじとは和菓子を食べるときに使うフォークのようなもので、私はその日、それを持っていませんでした。私は小さく首をふり、持っていませんと答えました。
「おじさんのあげるよ。新品やからね、どうぞ。」その時田原さんは私にくろもじをくれました。私は深くお礼をし、ありがたくそれを頂戴しました。懐紙に乗せた水羊羹を、くろもじで割って食べました。田原さんは本当にやさしい方でした。あと、羊羹はとてもおいしかったです。
 その日は1人ずつお点前をして、2巡して終わりました。4時間の長丁場でしたが正座にも耐え、その間に帛紗の折り方を習得して、そしてなんとか2回のお点前も終えて、教室を出ました。玄関先で4人で次のお稽古の日程を相談し、「また来月、よろしくお願いします。」と、お別れをしました。私は迎えに来てくれていた祖父母の車に乗り、田原さんにくろもじをいただいたことを話しました。「よかったなあ。優しい方で。」祖母はそう言って、ほっとしたように笑っていました。

 それから2週間ほど経った頃、私の祖母の携帯に、茶道の先生から連絡がありました。内容は、「田原さんが亡くなった」というものでした。畑仕事をしている最中で、記憶が曖昧ですがたしか脳梗塞か心筋梗塞だったと思います。私はそれを聞き、震える声で「そっか。」と言うのに精一杯でした。祖母は悲しそうに「あのくろもじが形見になってしもたなあ。」と呟きました。

 次の月のお稽古の日は、私にとっては2回目で、美奈さんと田原さんにとっては数十回目のお稽古の日でした。私は田原さんが来ることのない茶室で、炭点前をして待っていました。そして、田原さんのことについて知らない美奈さんが「こんにちは」と明るい声で入ってこられました。私はこんにちはとお辞儀をしました。そして美奈さんが言ったのです。

「あら、珍しい。今日はまだ田原さん、いらっしゃってないんですね。いつもお早いのに。」


 あれからもう10年近くの月日が経とうとしています。あのあたりの頃のことなんて、もうだいぶ忘れてしまいました。けれども、あの日のことは今でも鮮明に覚えていて、今でも何度も思い出すものです。

 その日のお稽古は、しんみりとしたものでした。前回、田原さんがお茶杓から抹茶を畳に落としてしまって、先生が「ここに小さな掃除機でもあれば便利ですね。」とおっしゃっていました。「田原さんのために用意したのにね。」と、先生はその日のお稽古に間に合うように用意した掃除機を、静かに眺めておられました。私はもういっそのこと、今持っている茶杓から、わざと抹茶を落としてしまおうかと思いました。お茶碗を洗った水をあえて高いところから建水に捨てて、美奈さんの鼻を啜る音を消しました。「もう少し低いところから、お水は捨てるのよ。」と先生に指摘されて、乾いた笑いで誤魔化しました。とにかくその日は、そういう日でした。


 何度もありがとうを伝えても、どんなに大好きを伝えても、どうしても足りない気がしてしまうのは、私が「そのときのその人のその行為」について言及しているわけではないからだと思っています。落とした消しゴムを拾ってくれてありがとうもそうだし、そんなことをしてくれる優しさが大好きだよ、なのも本当です。だけど私が伝えたいのはそんなことではなくて、今日 も 同じ時間を過ごさせてくれてありがとうとか、今日 も その笑顔が大好きだよとか、そういった類のことなのです。だから、そんな気持ちが、たった一度の「ありがとう、大好きだよ」で、伝わりきるわけがないのです。

 田原さん、私は今でも、あの日の田原さんのやさしさに支えられて生きているような気がしています。

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