見出し画像

実家を捨てる

わたしが、私に興味のない両親が分かるくらいに壊れたのは2回。

1度目は20歳で家を飛び出した時、
2度目は社会人1年目で摂食障害になった時だ。

1度目はまだ父と叔母と実家に暮らしていた時だ。
大学2年生の春休みに、同期と、私の車を含め車3台で小旅行に出た。
帰り道で私は楽しさに浮かれて衝突事故を起こしてしまった。
いわゆるおかまを掘ってしまったのだ。

不幸中の幸いで、スピードが出てなかったので同乗していた友達や
相手に怪我はなく、相手とお互いの車の破損のみだった。

事故を起こした瞬間に私はパニックになり、
「帰って父に伝えたら、物凄く怒られ、罵倒され、否定される」という
ことしか考えられなくなった。
泣きじゃくりパニックな私を、周囲の友人たちは自分だって
驚いただろうにずっと慰めてくれ、パニックで誰とも話せない私のために
一部の人間が私のそばに残り、他のメンバーには別の場所で時間をつぶしてもらうなど、みんなとても優しくしてくれた。
その間もずっと私は混乱しており、人の優しさを受け取れず、
何も返せなかった。

さっきは不幸中の幸いと書いたが、実際はそんな状態だったので、
相手の怪我や友人の怪我は全く考えられなかった。
今となっては本当に申し訳ないし、皆の優しさが心からありがたい。

何時間か経ってようやく落ち着き、皆に謝ってお礼を伝えたが、
多少気は落ち着いても実家に帰ることがどうしても出来なかった。
その時付き合っていた彼氏が見かねて、というかどうしようもできず、
だと思うが、そのまま彼の家に数日泊まらせてもらった。

彼といっても、実はわたしは「2番目の彼女」だった。
「1番目の彼女」が実家に帰省しているから、泊まることができた。
(車を泊めているので周囲にはバレバレだと思うが)

「1番目の彼女」が帰ってくる日が来て、他人を疑い、なかなか心を開かず、彼に依存し周囲の人と関係性を持てなかった私は他の知人を頼ることもできず、頼る頭も持てず、実家に戻らざるを得なくなった。

それでも日中に戻ることが出来ず、父と叔母が寝ているであろう夜中に、
やっと腹を決めて帰ることにした。

彼の家から実家までは車で約15分ほど。
深夜でほとんど車がなく、道はすいすい進んでいく。
私の心はそれと反比例するようにどんどん暗く、重くなる。
家まであと5分、というところで、限界がきた。

過呼吸だ。
どう抑えようと思っても、呼吸がままならない。
涙がぼろぼろこぼれてきて、視界も悪い。
頭はどんどん鈍くなり、焦る気持ちだけが浮かんでくる。
呼吸は落ち着かず、自分の心臓の音がどんどん早くなる音だけが聞こえた。

なんとか駐車場に車を止めて、何度も彼に電話する。
当たり前だが、連日の私のパニックと迷惑とで彼は休めておらず、
寝ていて応答がない。

だけど、もう、このままこの家には戻れないと思った。

過呼吸のまま急いで家に入り、
とにかく身の回りで必要なものをかき集めて袋に詰め込んだ。
その間ずっと呼吸は戻らず、涙が流れ続けていた。

なんとか荷物を詰め、車に戻り、彼の家に向かった。

すぐに私の携帯に、叔母から連絡が入った。
「騒がしい。泥棒猫みたいなことしてどうしたの。」と。

私の苦しさと、どうしようもない恐怖と、混乱が、
「泥棒猫」だと言うのか、と、
どうしようもない孤独感と、絶対にこの人には
わかってもらえないという悲しみと、必死の自分が馬鹿にされ、
否定され、なじられたような気持ちになった。

その日から、私は実家に戻らなかった。戻れなかった。
捨てるしかなかった。限界だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?