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普通ってなんだろうか

わたしはコスメやメイク、そしてスキンケアが好きだ。
確か初めてメイクをしたのは小学生だったし、中学生のころは、周りにメイクしてる子も増えて、私も毎日メイクしている時期もあった。

コスメもそうだし、日用品もそうだと思うが、
「普通肌用」とか、「標準サイズ」とか、そういう表記がある。

わたしは脂性肌だと思ってたら結構乾燥肌だったし、
標準サイズかと思ってたらXSでも大きかったかったことも、Lサイズ相当でも小さかったこともある。

自分が普通かどうかなんて、普段生活するだけでもわからないものだ。

しかも、大概の場合自分では自分が「普通」だと思っている。
普通だと、親に思い込まされている。

家の中、家族の中で当たり前で普通だったことが、本当は世の中だと異常だった。
その時子供は物凄く混乱する。

今見てる家の外の世界が異常なのか、普通なのか。
後者なら、家族や父や母は異常ってことなのか。
だけど、過去を壊せず、父や母を信じた自分を壊せず、
そのまま疑問を持ちながらも父と母を、そして父と母を信じた自分を続けるのだ。
そうして、疑問を持った自分を少しずつ虐めていく。少しずつ、見ないようにしていく。

父と母は愛情をかけて育ててくれたから、とか、
世話してくれたから、とか、
目上の人は敬うもんだ、とか、
どれだけ苦労や面倒やお金かけてくれた、とか。
家族神話、母親神話、父親神話が、目くらましをする。

全く関係のないことだ。
だって、自分の心を殺しているわけだから。
自分の心を殺すことと、盲目的に父親と母親の言動や教わったことを信じること、
天秤にかけたら前者に傾くに決まっている。

自分の心を信じていいのだ。
人間だから、両親も失敗することや間違えることはある。
間違えたと気付いたら、子供が混乱していると思ったら、
子供の心とすれ違っていると思ったら、謝って、説明して、尊重すればいいだけだ。
選択肢を揃えなきゃいけないわけではない。
譲れる方が、譲ったらいい。
どちらの方が折り合いをつけられるか、選択肢を複数持てるかは、自明の理だ。

そして、そうしてお互いの心を育めばいいだけなのだ。

そういうことが出来ない人たちと一緒に暮らしてきたこと、
盲目的に信じないとと思わされてきたこと、
信じて自分の心を殺してきたこと、
それで、今わたしはとても苦しい。

苦しいと気付けたから、まだよかった。
本当の恐怖や苦しみは、気付かせないように何重にも隠されている。

ひとつひとつ、自分と他人を丁寧に扱って、紐解く。


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