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全て借り物。物も、お金も、この体でさえも。全てが自分のものではないと気がつく。


自分の所有している。何かを得ている。
自分の身体に身に着ける。自分の素晴らしい身体を自慢する。

でも実はそのもの全ては自分の物ではない
自分の物ではあるけれど、自分の物ではない。


全ては貸して貰った物である。
そして今自分が見ている世界も、聞こえる音も、感じるもの全ても全て借りている世界。借り物の世界で、全てが自分の周りで動いている。そしてその借り物の世界もまた借り物の自分が眺めている。

それがこの世界。

不安が先ず自分を支配する。
苦しい、辛い、こんな現実はおかしい。
自分の身体が悲鳴を上げる。息ができない。嗚咽がする。
これが苦しみなのだろうか?リアルに身体を、精神を痛めつける。

だけどそれも全て借り物の世界での出来事。

痛みも苦しみも全て借り物。

その痛みを、苦しみを感じているのは自分ではない
自分は自分の中からそれを眺めている。
ゆったりと静かに流れる世界の中で、じーっと凝視している。まるで映画を眺めるように。

ただの借り物の世界はとてつもなくリアルに作り込まれている為に、どうしても現実にしか思えない。
一体どういう構造でこんな凄まじい映画が作り出されるんだよ?って位に。リアル過ぎる。


時に自分が自分ではないという感覚に陥る時がありませんか?目に見える世界も、聞こえる音も、今立っている場所も、目の前にいる人も、全て違和感を感じる時が。

急にふと感じる違和感が大きくなって消える。

ふと現実に意識が戻されて
ああ、まるで夢を見ていた様な。不思議な感覚。
その時に物凄く世界が借り物に見えて来てしまう。
そしてそう感じている自分自身もまた、借り物に感じる。


そんな借り物の世界で起きる、借り物の出来事。
借り物の身体は常にそれに敏感に反応をしている。
大きな声を上げている。まるで現実かのように…。


夢からこの世界を見ているのか?この世界から夢を見ているのか?

どちらが現実で、どちらが夢なのか?

どちらが借り物で、どちらが現実(リアル)なのか?


そんなことばかり考えているので、アレコレ小さな失敗して恥をかく…。

まぁそんな出来事もまた借り物の世界での出来事なんだろうな?なんて。だからね僕はいつまで経っても小さい失敗を繰り返すんだ。それが天然ボケとポジティブに捉えて貰えるならばいいんだけれど…。


それではまた🫰🫰🫰

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