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全ての物事を色に例えてみる

昔働いていた職場に雇われたドライバーがいた
彼は毎日のようにトラックを運転し運搬をするという。仕事をこなしていた。
彼と話が出来る時間は夕暮れ時
丁度日が陰り、辺りが薄暗くなる頃に
二人喫煙スペースに腰を下ろしタバコをふかしていた。

「寒い時期になるとどうしてもタバコが増えていかんね。」

そう話す彼は既に二本目に手を伸ばしていた

「吸い過ぎは身体に毒ですよ?」

長時間の運転はストレスが貯まるのだろう?
まるで高速にかっ飛ばすスーパーカーの様にその速度は増していた。

その理由もなんとなくわかる

冬の寒い時期は自分の吐息と混ざり、吐き出す煙の量も増える。
背後にぼんやり光るオレンジ色のライトの反射し
薄グレーが混ざったタバコの煙が一目散に空へ伸びていく。

作物を栽培するのに
今ではLEDライトを採用するビニールハウス農家がいるのだと聞いたことがある。
通常のライトに敢えて着色されたビニールテープを貼り付ける事によって作物の成長を促す効果があるのだとか。

もしそんな綺麗な色味のライトに向かって、タバコの煙を吹きかけたらさぞ綺麗に見えるのだろうねと二人ヘヴィースモーカーは笑う。

人それぞれパーソナルカラーというのが合って
身につける装飾品や召し物等
似合う色というものがあるらしい。
肌の色や、血色
それに合わせてコーディネートをするのが一番お洒落に見えるし、格好がつくのだと
ファッション上級者の女性が話していたのを思い出す。

僕は趣味で絵画を見ることが好きで
この調色は素晴らしいと書き手のイマジネーションに感心させられる事が多い。
昔から絵を趣味で描いてきた、それこそ学校では図工、美術のクラスが一番得意だったし
僕が唯一人に誇れるものだった。

ただの赤いリンゴでさえ
よくよく眺めてみると色鮮やかな事に気がつく
薄いオレンジにも見える部分、緑色やダイダイ
紫色に見える部分もある。
その微妙な細部まで観察をし、自分自身の持つ感性を頼りに絵を書き上げるという作業がたまらなく好きなのだ。

空は青く
地面は茶色い
太陽はオレンジで
屋根の色は緑色だ

そうやって一つの景色を眺めているだけでも
沢山の色鮮やかな色彩が目に入ってくる。

明るい人
物静かな人
大人っぽい人
子供っぽい人

道行く人々を眺めていても
沢山の色鮮やかな"色"を持っている

もし、この世の中に色というものがなくなったとしたらと考えると少し怖く感じてしまう。

レミーのおいしいレストランというピクサーの映画
主人公のネズミのレミーは、ネズミでありながら
人間のシェフ顔負けの舌を持っている。

ある時腹を好かせたレミーと友人のアミールは
人間の家に食べ物を求めて盗みに入った。
そこでチーズとチェリーを見つけ
レミーはこう話した

「味には色がある」
「チェリーを食べると一つの色だが、チーズと合わせて食べることによって見たことがない新しい色合いになるんだ」

彼はネズミでありながらシナスタジア(共感覚)
という能力を持っていた。

シナスタジアとはざっくり言うと、文字や音などに色を感じるという感覚であり
主に芸術家などに多く見られる傾向なのだそう。

色を味と例えると
この世の中にある食べ物には多くの色がある。

甘い食べ物をピンクに例えるならば
辛い食べ物は赤だろう
苦い食べ物は茶色っぽくて
酸っぱい食べ物は黄色
そんな風に食べもの1つに取ってみても
色鮮やかだと言うことが理解できるだろう?

先程も話したけども

もしこの世に色がなくなってしまえば
そんな味でさえも個性が無くなり
ただの平坦なものになってしまう。

美味しいと感じるが
どう美味しいのかわからない
それらは甘いのか?辛いのか?苦いのか?酸っぱいのか?そんな料理を食べている間は幸せに感じる事ができるのだろうか?

折角お皿に綺麗に盛り付けられた高級フレンチでさえ色のない料理であれば美味しそうだと感じる事はないのだろう。
赤みがかった肉、とろりと添えられたソース
様々なプレートに丁寧に盛り付けられた野菜
まるで砂漠にポツリと広がるオアシスの様にクリームが混じったスープも
どれも味気ない食事へと成り下がってしまうだろう

人々が持つ個性
その人のパーソナルカラー
似合う服
人それぞれが持つ、その人だけにしかない色

人がそこにいるだけで
真っ白いキャンパスには鮮やかな色が添えられる
最近の女性たちは個性豊かな髪色をするのが流行っているのか?
多種様々な色味の髪色をしているのをよく見かける。
僕はカラフルであればカラフルであるほど
感動を覚えるので、道行く綺麗に発色された髪色を見ると純粋に綺麗だなぁと感じます。

かくいう僕も赤色や金、半分に分けたカラフルな髪色等冒険をしてきました。
今じゃ三十代も半分頃なので、将来の事を考えるとどうしても踏み込めなくなっているのですがw
出来る事ならばパーっと明るい色味にしたいなぁなんて思う今日此の頃ですw

僕は今の世の中人々には個性というものが
これから生きていく上で非常に大事な事だと思う
それこそ綺麗に発色された髪色でも勿論いいし
その人が持つ性格でさえ、色鮮やかであれと思うのです。
どうしても集団という組織の中で生き抜くには
ある程度同調していかないといけない部分は多々あるのですが
何も自分自身が持つ特別な個性を逢えて潰してしまうというのはどうしても頂けない。

人間というのは何年。何十年とかけて
自己という個性を形成していくのに対し
まるで熟れる前の果実を摘んでしまうかの如く
その人たちから奪ってしまうというのは
悪の行為だと僕は思っている。

春先に見る綺麗な桜の花に魅了される様に
夏の新緑の葉たちに生きている波動を感じる様に
赤や黄の様々な葉たちの色味を感じれる秋の様に
辺り一面を覆う白銀の世界の冬の様に

人々はそれぞれ自分の色を大事に
強烈に発色していてもいいはずなのだ

何にも交じることがない純粋な色
綺麗な色味であれば尚更、更に輝いて発色していて欲しいと願いたいのですが
残念ながら、それを敢えて汚し
発色を止めてしまう事が正しいとされてしまう。

世界に色が無くなった時
人々は誰が誰かなんて識別ができなくなっていく
人は人であるんだけれど、でも皆が同じ
透明でもなくかと言って白色でもない
ただの"ニンゲン"という生き物が
世の中に蔓延る世界

それを美徳とし謙虚だと言うのならば
僕は人や世界など存在しなくてもいいのではないかとも思えるのです。
少々極論じみた例えになりましたが

誰も真似できない
その人しかない色(個性)というものを
誰からも奪われない。誰にも汚されない様に
自分自身を大切に生きていて欲しいと願っています。

白いキャンパスは誰にでも産まれた瞬間手渡されます
貴方が産声を上げたその時に
その瞬間から貴方は世界いちの画家としてデビューをし、世界で一番の作品を描くという試練を任されるのです。

時に線が曲がり
時には筆さえも取り上げられそうになることもある。
でも最後、自分の最期の時
そのキャンパスに隙間がない程に埋め尽くされた
色鮮やかな色彩は、貴方が歩み形成してきた一つの作品なのだと。

最後に見返してみて

「この作品こそが世界で一つ。世界で誰にも描ける事が出来ない最高の人生(作品)なのだ」

と目の前に掲げられる
そんな人生こそが大往生だと言えるのでしょう


自分自身の色
自分にしかない色

それを着色出来るのは他ならない
貴方自身でしかないということ

どんな人間だっていい
誇らしいと言えなくてもいい
例え誰に評価されなくたっていい

ただ只管、自分自身のカラーを磨き
他の誰よりも光り輝いていてくれさえすれば
それが最高の人生であるはずなのだから…

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