心を読まれた話
科学的根拠のある事象しか信用しない人間なので、対極にある超常現象とか死後の世界とか心霊の類いは一切受け入れない。
人体浮遊もUFOも天草四郎時貞の背後霊もこの目でみることができるのならばもちろん信じるのだけれど、今のところはどれにも遭遇していない。
どれだけ美しくて魅力的な女性でもツインソウルとかアカシックレコードとか言い始めた途端に興味が失せてしまう。
ただ、そんな僕が一度だけ非科学的なことを信用せざるを得なかった出来事がある。
もう20年以上前のことだ。僕は物心がつかない頃から27歳までを過ごした神奈川県を離れることにした。将来の展望が拓けそうもなかった会社勤めに見切りをつけ、美容師になるべく東京の江東区へと引っ越すためだ。
地元を離れるにあたって当時の恋人に別れを切り出した。物理的な距離が離れる上に練習漬けの美容師見習いになるのだ。20歳からのスタートが通例の美容師で27歳は決して若いとは言えない。挫折の可能性も高いだろう。恋人の大切な20代を自分勝手な人生に巻き込むわけにはいかなかった。
というのが建前で本当は新しく好きな女性がいた。相手も僕のことを好きでいてくれたようで付き合い始めるのは時間の問題くらいの段階になっていた。
要するに恋人と別れたいタイミングと新しい仕事を始めて引っ越すタイミングが同じになっただけなのだ。新しく好きな人ができた、もうあなたのことは好きじゃないと正直に言う度胸のなかった僕はリスタートを体の良い言い訳に使ったのだった。かなりクズみがあるがもう20年以上前の話なので許してほしい。
恋人は僕を問い詰めることもなく、恨み言も泣き言も一切言わず「わかった。がんばってね」と静かに泣いていた。そして「最後だから言うね。わたし…」わたし…?
「人の心が読めるの」
ひ、人の心が読める?またまたー。そんなことできるわけないでしょう?当時からすでに僕は非科学的なことや超能力的なものには否定的だった。
「そう言われてると思って黙ってたの。気味悪く思われたくなかったから。じゃあ確かめてみる?わたしがする質問の答えを口に出さずに強く念じてみて」
質問は「世界の国をひとつだけ思い浮かべて」「初恋の人は」みたいな感じだ。驚いた。ことごとく当てられる。僕は質問の答えを頭に浮かべているだけだ。はじめはまぐれか、事前になんらかの方法で情報を手に入れていたのかと思っていたが
「母親の双子の妹(叔母)の連れ合いの名前」を「えつじ」
「行ってみたい都市の名前」を「スリジャヤワルダナプラコッテ」
と当てられるとさすがに信じないわけにはいかなかった。僕の顔はみるみる青ざめていったことだろう。
彼女いわく、なんとなく思っているくらいでは感じ取れないそうだ。強く願ったり思ったりしていないとわからないらしい。
「だからね、わかってたの。近いうちにこういう日が来ることは。わたしと別れたい本当の理由もなんとなくわかってるよ」
彼女のシックスセンスは僕の浅はかで姑息にすり替えた別れ話などとっくにお見通しだったのだ。呼吸が浅くなり目眩がした。いますぐその場から逃げ出したい思いだった。
今でも超常現象や超能力などには否定的だ。ただ僕はその時確かにその力をこの目で見た。大切だった人を裏切ったその時に。