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マーラーとベーゼンドルファー(1)

映像系のサブスクリプションは加入と解約を繰り返しているが、音楽ストリーミングサービスのSpotifyはずっと機能に制約の無いプレミア会員で居続けている。気になった曲にいつでもどこでもアクセスできるというのは音楽が好きな人間にはとても魅力的だ。

そうは言っても聴く音楽のジャンルはおそろしく偏っていて、ドライブしたエレキギターが耳を劈くようなロックやBPMが160を下らないエレクトリックなダンスミュージックが大半を占めている。

しかしよくよく考えてみれば音楽ストリーミングサービスなのだから古今東西あらゆるジャンルを網羅しているわけで、ジャズや民族音楽、落語や波の音まで聴ける。趣味なのだから好きなものを聴けばよいのだけれど、あまりに偏向しているのもわからず屋の頑固ジジイみたいだ。

もちろんSpotifyはクラッシックも聴ける。クラッシックは全くわからない。僕にとってバッハやモーツァルト、ショパンやベートーヴェンの曲たちはCMやバラエティ番組、それとカスタマーセンターに電話したときの待ち時間に聴くものだからだ。

僕が唯一ちゃんと聴いたことのある作曲家はマーラーだけだ。しかも能動的に聴いた、というよりは聴かされた、という表現が近い。

大学をぎりぎり4年で卒業した僕は都内にある小さな広告会社にすべり込んだ。社長は当時40歳になるかどうかで、仕事はできるが強引なビジネスの手法には敵も多く、毀誉褒貶がアルマーニのスーツを着て歩いているような男だった。

僕の業務はその社長の秘書だった。秘書と言ってもスケジュール管理などを担う所謂「秘書」は他にちゃんといて、僕の仕事は社長の使いっ走り、つまり雑用係といったところだ。自分のそばにはクォーターの美人秘書を侍らせておいて、面倒ごとや泥くさい仕事は就職氷河期でおろおろしていたバイト上がりに全て押しつけていたのだ。

こんなことを書くと完全にブラック企業だけれど、給料は良かったし仕事の特性上、個人の裁量で使えるクレジットカードも与えられていた。バブルはとうに崩壊していたが業界的に決裁権を持つ人間には脂ぎった中年男性が多く、酒と女性とプレゼントにまだまだ効き目があった時代だった。

クォーターの美人秘書とは業務上、連携を取らなくてはならないことが多々あるためコミュニケーションは密だった。年齢もひとつ違いだし性格的にもウマが合った。ランチや飲みにもよく行くようになったある日、彼女から実家でホームパーティーをやるから来ないか、と誘われた。ホームパーティ?!いまホームパーティって言ったか?!

2につづく

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