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「旅と理論の社会学講義」と私が旅すること

facebookのお友達がシェアされていたドラッカー勉強会
テーマにビビッと来て、zoom会議に参加させてもらいました。

そのテーマとは、

旅と理論の社会学講義

同名称の多田先生の書籍も紹介されていたので、早速Amazonで購入。

〈目次〉

第1部 知識の社会学とマネジメント
第1講 知識社会と社会学
第2講 ドラッカー的マネジメント——知覚と時間の活用

第2部 開発と観光・イメージ
第3講 「南国楽園」の系譜学
第4講 巨大イベントと地域開発

第3部 長い歴史と象徴・交通
第5講 生きられた歴史と象徴世界
第6講 江戸時代スタディーズ——旅・移動で形成された初期近代
第7講 鉄道からみた近現代社会

第4部 社会の主観としての観光
第8講 マキァーネルの観光論——ツーリストとサイトシーイングの倫理
第9講 歴史を組み込む観光

第5部 アクターネットワーク理論の活用
第10講 社会的なものを組み直す——ラトゥールのアクターネットワーク理論
第11講 モビリティーズと複雑性——ジョン・アーリの仕事
最終講 社会の主観と社会の時間

難しい、著名な社会学者の理論は、わかりづらいのでかなり読み飛ばしましたが、なかなかいい視点の部分が多くありました。

今の私が拾った言葉を紹介します。

P17
観光は、現実の多面性を見せてくれる

観光は、あらゆるものを等価に「見る対象」に変えてしまう。

社会現象をトータルに把握する方法的な道具たてになる。

→本当にその通りだと思う。

P18
社会学は、社会の主観・知識と込みで扱う学問

「社会的事実」
個人に対して外在的で拘束的な影響力を持つ社会現象
例:宗教、道徳のような集合表象

P33
ドラッカーの時間理解

人間の不完全さや誤りやすさを、むしろ自由の出発点と位置付けた。

成功は予期せぬ形でやってくる。いつ起こるかわからないからこそ、仕組みづくりが大事。

自分をオープンに開いておく。

元々、人間がコントロールできることはごくわずかであり、元々持っている力をできるだけ邪魔せず、存分に引き出す形が望ましい。

→後に続く、「倫理的な問いへの偶発的な出会い」にかかる部分で、旅することへの心構えで、自分をオープンに開いておくことの、難しさは、旅してみるとよくわかる。だって、移動するだけで大変なわけで、ついつい楽な方を選択しがちな自分がいるからだ。


P50
旅と観光の定義
知識を形成・吸収・伝達・表現する営み
=インスタ映えはその特徴を表している。

→「あらゆるものを見る対象に変える」ことからもSNSを活用したツーリストの行動は、ある意味正しいのだ。


観光開発の歴史
万国のツアー化
→経済発展と交通網の整備の歴史→オリンピック

観光も、先のブルデーの結婚論と同様、経済面と象徴面が一体となった現象です。風景・自然・文化・歴史・物語などの非経済・象徴的な要素を、経済サービスに組み込むのが観光。

近代化と交通網の発展による時間の短縮

→交通網の発展は、多田先生がとらえていらっしゃるより、今はもっと進んでいると考える。それは、この本自体の対象が主に国内の事例をベースにしているからで、ライドシェアが発達している海外の事情とキャッシュレスの世界の利便性の向上が、ツーリストに及ぼしている影響のリアルタイム性に欠けている内容だからだ。 ただ歴史的には、本書の通りである。


P172
マキャーネルは、ツーリストは、近代社会を映し出す存在
閉じた共同体の「内と外」「仲間とよそ者」「我々と彼ら」は、明確に区分分けされていた。
近代になって、交通やメディアが発達し、移動が多くなると異界の多さとの出会いや交渉、包摂が進み内と外の二分法の境界は崩れ、より曖昧でオープンになっていきます。
ツーリストとは、近代という時代に産み落とされる歴史的・社会的な存在でもあるのです。

近代社会は、個人の生活や意識を遥かに超えて、発展拡大していきます。
個人はローカルで完結せず、広域の世界に包摂されながらも、直接的には局所的なリアリティだけを感受しています。その中で個人は、自分が生きるこの日常がリアルなものだという確かさらしさの感覚が薄まった不安な実存におかれます。この近代的日常の中で多くの人々はここではないどこかよその場所に「本当のものがあると想定しそれを求めて探し歩き、覗き込もうとします。

→観光と社会学は、非常に似ているという切り口の本であることに、私は旅という側から興味があって、参加したけど、社会学に興味があって、参加されている皆さんの旅に対する経験値の無さに、かなり残念な印象だった。


弱いつながり
インターネットは、階級や所属、人間関係を固定化し、強化するメディア
自分が見たいものばかりに集中・特化していく仕組み
それまでの自分の先有傾向やアイデンティティを強めるメディア。

自分を変えたければ、環境を意図的に変えるしかない。その手段が旅であり、旅先で検索ワードを変えて探すことに可能性を見出そうとする。

→今時、20代の若者ならいざ知らず、中高年になって、旅が好きな人に、自分を変えたいという観点は、ほとんどないだろう。それよりは、学び続けたいという捉え方の方が自然だと思う。

P190
近代観光は、いまや、「ツーリスト・バブル」と呼ばれる都市の景色へと向かっていきます。そこでは、ツーリストと都市をマーケティング戦略へと投げ込む、パッケージ化されたアイデンティティが確立されています。
他方で、都市の小道を歩くのを好むツーリストもいます。都市の象徴世界では、ツーリストバブルとよそ者の小道は、拮抗し、どちらも象徴資本として作用します。
ツーリストには、消費者としての仕事と、主観的な象徴世界の集荷人としての仕事があるというのは。興味深い知見です。

→そうだよねー。改めて、社会学の観点からのコメントに納得です。

観光の動機
アーリツーリズムという批判
「家を出て、別のものを見たい欲望」
観光することの倫理への発展が必要

→社会学という学問をなぜやるのか?という問いと同じ出発点になるのでは?

「倫理的な問いへの偶発的な出会い」としての観光
楽しみや気晴らしを目的としながらも、自ら見知らぬ土地へ出向くことで、偶発性との出会いをはんば、意図的に仕込んでいくところに、観光の・旅行の特質はあります。

→全く、その通りだと思う。

”倫理的”というとハードルが高く感じるかもしれないけど、多様な人種との出会いにしろ、見るもの、都市の景観にしろ、全ての出会いは、「なぜ?」という問いへの「扉」になりうるわけで、その扉は、偶発的な出会いになればなるほど、開きやすいのだ。


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