記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

【再掲】進撃の巨人はヤバい

※本記事は少し前に一度公開した文章でありますが、諸事情で削除させていただきました。
せっかく書いた文を読み直して、時間を掛けて書いたのにお蔵入りさせるのも勿体ないと思い、あえて再掲するに至った次第です。
個人の感想とも未読者への紹介ともつかない文をつらつらと書き連ねていますが、どうかご容赦ください。


『進撃の巨人』をナメていた

たまに今で言う「バズる」アニメというのはちょくちょく出てくる。
漫画・アニメ好きの内輪で支持される枠を越えて、普段そういうのを見ないだろう人にまで流行りだして社会現象のような人気になるアニメだ。
だが、自分はそういうコンテンツに対して普段は一歩退いた目線で構えている。
単なる捻くれ者気質なだけなのだが、そういうコンテンツの熱が一段落して改めて触れてみても、いまいち琴線に触れないことの方が多いからだ。
「悪くはないけど、なんでこんなのが異常に人気がでているの?」「なにが面白いかも対して分析できてない人が、周りに合わせて楽しんでるだけじゃないのか?」などと斜に構えた、失礼なモノの見方が染み付いてしまっている。
「進撃の巨人」の関しても、実際に触れるまでは割とそういう認識をしていた。
アニメが放映されていた時期も作画がすごい、OP曲が紅白に出た、など盛り上がっていることは知っていたものの、まだ原作も完結していないし、今が異様に人気なだけだろうなとスルーしていた。
確かそれが2013年ごろの話で、それから原作は2021年に完結し、そしてアニメもやっと完結したという話をなんとなく聞いていた。
友達に「進撃の巨人」をお勧めされたのは、アニメが完結した2023年の末ごろの話だ。
「伏線や謎が凄まじい」「作画もすごい」「お前なら絶対に気に入る」。
確か、そんな事を言われてお勧めされた覚えがある。
だったらキリのいい年始から見てみるか…どうせ合わなければ切ればいいし。
そんな事を思いながら、割と何の気なしで「進撃の巨人」の視聴を初めた。
結論から言うと、自分は深く頭を下げる思いでその認識を改めなければならなくなった。
ナメていてごめんなさい、そして素晴らしい作品でしたありがとう。

『進撃の巨人』でググるな

ここからはあえてネタバレ込みで自分が序盤を見て思ったことをありのままに書かせてもらう。
「進撃の巨人」は簡単に言うと、人間を食べる巨人が世界に大量にいて、その脅威から壁を隔てて匿われている人間が巨人に脅かされる現状を打破するために戦い続けるという内容で(ただし、これもほんの序盤のあらすじだ)主人公・エレンとその仲間たちも巨人と戦う訓練を積み上げ、力と技を磨いていく。
だが、エレンは程なくしていきなり巨人と戦う羽目になり、そしていきなりエレンは食べられてしまう。
食べられるということは当然死を伴うわけであって、つまりいきなり主人公が死んでしまうのである。
そして、1話くらいまたぎ、死んだかに思えたエレンが巨人となって復活してしまった。
自分が驚いたのは、この展開が物語全体のほんの序盤でやってきた事だ。
そりゃ中盤くらいから戦い方が煮詰まって相手の力を手に入れる展開くらいあるよなぁと予測はできるが、これがまだストーリーの駆け出しで出てくるのである。
(全94話のだいたい5、6話くらい)
もうそんなイベント消化しちゃうの!?と早々に度肝を抜かれたのを覚えている。
そして、「進撃の巨人」はそれを「今やるのか!?ここで!?」と言わんばかりのとんでもない展開が序盤から最後まで続々と発生する作品なのだ。

「進撃の巨人」を観るにあたって個人的に絶対やってはいけない事を提唱させてもらう。
それは「進撃の巨人」でインターネットの記事の検索などを行うこと。
キャラの紹介やあらすじなどを見たくて公式サイトを見に行くことすら禁止するべきだ。
そこには上記に書かいたようなとんでもない展開が、何の配慮もなく書いてあったりするからだ。
「進撃の巨人」を見始めたら脇目も振らず最後まで完遂してほしい。
それは何故かというと、「進撃の巨人」は序盤の展開から緻密な伏線・意表をついた展開がてんこ盛りで、ふとした些細な情報ですらネタバレになってしまい、面白さを損なう危険性があるからだ。

『進撃の巨人』は笑えない

「進撃の巨人」はとにかく作中人物がよく死ぬ。
ネームドキャラクターはだいたい死ぬ。
ちょっと目立つサブのサブくらいのキャラクターもすぐ死ぬ。
頼れる先輩戦士もとりあえず最後は死ぬ。
そればかりか序盤からよろしくやってきたキャラクターもいきなり殺害されたりもする。
なので、作中の空気は基本的に殺伐としていて、今画面の中で談笑しているキャラクターが次の場面で死んでいるんじゃないかという独特の緊張感がある。
かといって、物語を読み進める手が重くなるほど殺伐とした作風なのかと言えば、決してそうではない。
「進撃の巨人」はキチンとギャグ描写もある。
鬼教官の手前、盗んだ芋に食いついているサシャだとか、「サシャが放屁しました」だとか、お肉盗ってきましたとか…いかん、サシャばっかだ。
まぁサシャじゃなくったって、合間で間の抜けた発言をするコニーだとか、唐突なライナーの「結婚しよ」だとか、何かと舌を噛むオルオだとか…。
故に、それらのキャラクターが退場する場面は見ていて非常に心苦しい。
しかも、死に際はあっさり死ねた方がまだ幸せな部類で、特に巨人によって食い殺される描写はだいたいのキャラが命乞いしたり絶命する間際まで恐怖に我を忘れるという壮絶な描写が多く、慣れない序盤は巨人に食い殺される描写は心苦しいものがあった。
というか今もその描写は好んで見返したくはないくらいには苦手だ。
そんな気持ちを抱くほど「進撃の巨人」のキャラクター描写は魅力的でとても上手だと思うし、死を伴って退場する事がとても心苦しい。

『進撃の巨人』はそういうのじゃない

「進撃の巨人」は、中盤まではキャラクターの善悪の棲み分けがはっきりした作品で、敵の正体が手探りでありながらも、戦う相手は巨人→その巨人の正体を知る者→巨人を送り込んでくる存在とアクション活劇漫画らしく勧善懲悪的な構造にはなっていた。
…が、追い求めていた壁の外側が判明した時点から一気に物語の規模が拡大し、どうして相手はこちらを攻撃してくるのか、もう誰が悪でこちらが善なのか、勧善懲悪の境界が徐々に無くなっていく。
シーズン3前期のEDテーマ「暁の鎮魂歌」の歌詞で「石を投げる者と投げられる者には容易に越えられぬ柵がある、立ち位置が変われば正義は牙を剥く檻の中で吼えているのは果たしてどちらか?」というのが実に端的にこの作品を言い表している。
正義を振りかざして戦いに挑んでいたはずのキャラクターが、その正義の為に結果的に(見方による)悪事に手を染める羽目になり、悪だと糾弾していたキャラクターと結果的に同じになってしまう。
作中のセリフを借りれば「お前と同じだよ」が何度も繰り返されるのだ。
善も悪もない、ただ己の矜持の為に皆等しく悪事を繰り広げる。
それが「進撃の巨人」の本質でこの作品の魅力だと思っている。
残酷だが勇壮な物語は中盤までで、それ以降は人間の業を焙り出す内容で説教臭くて離れたという人もいるだろう。
個人的にはただの痛快で残酷なアクション活劇に留まらず、作品を通じて歴史や戦争を根深さを追体験させてくれる内容であった事が、この作品が頭一つ飛び抜けさせた理由だと思っている。
「進撃の巨人」は、ただのアクション漫画ではない。

『進撃の巨人』はイッちゃっている

ここまで書くと「進撃の巨人」とは、さぞ高尚でとっつきづらい敷居の高い作品の様に思わせてしまったかもしれない。
では、お薦めしづらい作品なのかと言われると、決してそんなことはない。
特にアニメが素晴らしい。
まずは騙されたと思って2013年放映のシーズン1・全25話を見よう。
前述の容赦なく人が巨人に食われる残酷描写は序盤から全開だが、巨人対人間の立体機動を駆使したド派手なアクションシーンや魅力的なキャラクター達、それに命を吹き込む声優陣の熱量など、いたるところに尋常じゃない気合を感じ取ることができる。
まさにその時点でクォリティの到達点で最高値を狙ってるような出来なのだ。
そしてそれが1シーズンだけで終わらず、その後の第2シーズン、第3シーズンとギアを落とすこと無くどんどん面白くなってくる。
第4シーズン以降は製作スタジオが変わったり、話が難解になってきたりと多少戸惑いはあるかもしれないが、個人的には面白さが損なわれているとはまったく思わなかった。
数えれば全94話と非常に長尺のアニメではあるが、そもそもの原作の地力としての面白さに、その世代の最高到達点を狙ったかのようなアニメのクォリティと非常にダレる暇がなく、最後までテンションを維持したまま楽しめたのは確かだ。
というか全て見届けた今ですら、「もう続きがないのか、あのキャラを見られないかと」いう事に寂しさすら覚えてしまう。
些か興奮冷めやらないで褒めすぎてはいないかと自分でも心配になるが、「進撃の巨人」はコンテンツの一つの到達点に行ってしまったと言わざる得ない。
そんくらいすごいんだよ。

『進撃の巨人』はユルい

「進撃の巨人」本編は作品全体に行き詰るようなシリアスな空気感があると前述した。
しかし、「進撃の巨人」は人気コンテンツとなり、より多くの人にアピールする上で色んな作品や商品とコラボすることになった。
そのコラボ先で「進撃の巨人」は、本編でのストレスを解消するかのようにハッチャげている。
上に掲載したスキンケア商品「uno」のコラボCMではアニメ本編でのシーンを流用しつつも、その場面のシリアスさをまるで感じさせないはっちゃげ具合で笑いを誘っている。

大分県日田駅に建てられたリヴァイ兵長の像

大分県日田市は作者・諫山先生の生まれ故郷とあって「進撃の巨人」による地元お越しに積極的である。
日田駅には作中屈指の人気キャラ・リヴァイ兵長の銅像が建っており、建立日には綺麗好きの兵長にあやかってか、銅像磨きのイベントも開催される。
更にはリヴァイ兵長の誕生日である12月25日にはなんと花火まで打ち上げられるのだという。

このように、「進撃の巨人」は作品外では本編シリアスさはどこへやら、とてもはっちゃげた展開が繰り広げられており、そのギャップもまた「進撃の巨人」のコンテンツの魅力とも言えるだろう。

アリナミンと進撃の巨人のコラボキャンペーン。ライナーに頑張らせんなよw

『進撃の巨人』を気に入っている

えらく回りくどくなってしまったが、「進撃の巨人」のアニメを一日一話見続けて年始から三ヶ月、心の底から楽しかった。
今回noteにこんな記事を書くに至ったのは、「進撃の巨人」の何がどう面白かったのかを体外向けに書くことで自分で覚えておきたかったからだ。
いや素直に各話の感想とか書けよ…などと思ってしまったので、ネタバレなのを加味した上で、特に好きな回とかを書き連ねていこうと思う。
まず好きなキャラクターは…どうしよう、みんな好きだぞこれ。
最終盤にはどのキャラもほぼほぼ凶行に走る羽目になるのだが、敵味方含めて皆そこに至るまでにちゃんとした理由が…いや、さっき書いただろこのくだり。
そうだな、あえて人気投票で一票入れるならジャンだ。
アイツはいい男だよ、うん。
それから好きな楽曲の話もしよう。
人気が高いのは当然「紅蓮の弓矢」だろうが、個人的に好きなのは「心臓を捧げよ」それと「最後の巨人」だ。
あと「いってらっしゃい」は映像も相まって心を締め付けられる、つらい。
アニメで好きな回はなんと言っても54話「勇者」と55話「白夜」だろう。
「勇者」はいわゆるシガンシナ奪還作戦の回で獣の巨人、鎧の巨人、そして超大型巨人と一気にケリをつけるアクションたっぷりの回だ。
それに続く「白夜」は前回の超大型巨人との戦いの代償で大変な事になってしまったアルミンと、もう一人重傷を負ったキャラのどちらを救うかを議論する回でBGMがまったく流れない中、各々の主義がぶつかり合う迫真さがすさまじい回だ。
基本的に1日1話消化を心がけていたが、この2話だけは我慢できずに連続で観てしまった。
あとは好きなセリフ、これもどのキャラにもキャッチコピーの如く印象的なセリフが用意されていて、あえてお気に入りを選ぶというのも難しい。
しいて好きなセリフを挙げるとすればシーズン3・王政編でロッド・レイスが巨人化し、崩落する洞窟内でエレンが泣きながらヨロイ液を噛み砕き放ったセリフ「最後に一度だけ許してほしい、自分を信じることを」っていうセリフ。
普通、「自分を信じる」っていうワードは己を鼓舞するために用いられる事が多いと個人的には思っていたが、そう言ってしまうだけの経緯も相まってここまで悲壮感漂う「自分を信じる」も珍しいなぁと思い好きなセリフとして挙げさせていただいた。
何がどう悲しいのかは…説明すると長くなるので45話まで観てください、面白いので。

最後にもう一つ好きなセリフを書いてこの記事を終了とさせていただく。
最終盤でハンジさん団長モードの最後のかっこいいセリフ。
「調査兵団団長に求められる資質は、理解することを諦めない姿勢にある」
進撃の巨人の地獄のような状況で一番大事な心構えであり、胸を打たれた言葉だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?