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光琳《燕子花図屏風》との再会

日本橋高島屋で琳派を堪能したので、駆け込みで根津美術館の《燕子花》をおさらいしてきた。5/14マデ。今回は終了したが、レビューを残しておく。

久しぶりの再会だったけれど、やはり日本人なら、一度は、というかできれば何度でも実物に観るべきだと思わされる。常設ではないが、定期的(年1ペースぐらい?)にここで展示されるので、都合のいいときにぜひ足を運んでほしい。

今回の特別展『国宝・燕子花図屏風 ―光琳の生きた時代 1658-1716―』は、タイトルどおり、光琳と同時代に制作された作品を併せて展示している。

光琳が生きた時代は、狩野派の神通力にほころびが見え始めていた頃だ。光琳の《燕子花》は、まさに脱・狩野派のニューウェイヴ。展示室を俯瞰して、探幽の《両帝図屏風》や、狩野派と同じく幕府お抱えとなった住吉派の住吉具慶の《源氏物語図屏風》と見比べると、表現のありようが明らかに異なっていることがわかるだろう。《燕子花》は、六曲一双の扇ごとの関係性やバランスが命で、燕子花はあくまで全体の設計に奉仕する素材として位置付けられている。狩野派だって画面構成には意識的だろうが、さすがにそこまでの冷徹さはない。光琳のデザイナー的なインスピレーション。

黄金の地に、緑と群青のみで構成したミニマムな色選択はあらためて称揚するまでもない。燕子花のリズミカルな配置は、どことなく五線譜の音符みたいにも見える。群青の花弁がオタマジャクシの玉だ。絵が音楽を奏でている。しかもブラックミュージックみたいにグルーヴィー。ちょっとどういうこと? 元禄だよね?

光琳作では《白楽天図屏風》もインパクト大。白楽天が乗る舟が天地方向に反り返り、波立った水面ともども、一連のダイナミックな運動の一瞬を捉えているかのようだが、リアリズムよりもアブストラクトなイメージが勝っている。六曲一隻のうち、右の3扇をその描写に充てる空間設計が効果的だ。

晩年の《夏草図屏風》は、写実に寄った作風ではあるが、退嬰や後退というより、その楚々とした味わいには、どこか市井の息吹があり、狩野派のような「官製美術」では到達できない境地ともいえる。

もちろん、狩野派をただの時代遅れと断ずるつもりはない。展示冒頭の常信の《瀟湘八景図巻》は、玉澗~雪舟と連なる水墨画のポエジーを、確かな技巧の裏付けによって再現したもので、狩野派はただ絢爛なだけでないことを知らしめる逸品だった。

ほかにも、渡辺始興の《寿老人図》のとぼけた表情や、旅人が土産として購入した「大津絵」のブロマイドのような俗っぽさやアマチュアリズムが思いのほか楽しかった。これらは、狩野派の圏域を脱した新しい表現であり、後の琳派や浮世絵、南画などにつながっていく。こうして江戸美術は、ポップ・カルチャーとして爛熟の時を迎えるが、それを準備した最大の功績者が、すなわち尾形光琳だったのだ。

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