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真夏の世の考察

韓国の少子化は深刻な状態らしい。

国土が狭く、単一民族の韓国では日本ほど多様性がなく、人生の価値観までもが単一化している。「私のようにはなるな。」という親の自分の生き方を否定した価値観は親自身の強烈なコンプレックスから来ている。そして今、親の願い(狙い)通り社会的に成功した子どもたちが、今度は「自分たちのようには育てられない」、と子どもを持つことに二の足を踏む状況だ。

私が25年以上前に韓国にホームステイしたり、韓国人と交流した時感じたのは、笑顔の裏にある韓国人の持つ「劣等感」。日本に対して羨望と同時に悔しさを滲ませつつ感じる強烈な対抗心。アメリカに留学した時に出会った韓国の人たちは特に英語の発音コンプレックスが凄かった。そして必死で英語を学んでいる姿があった。日本と韓国はまるで張り合う兄弟みたいだと感じた。もちろん上辺ではとても友好的だったけど。

あれから25年、BTSを始め韓国人の様々な分野での実力、独特な文化は世界でも目を見張るものだと認知されている。
そんな韓国なのに、子育て時代知り合った韓国人ママ友は英語はTOEFL高得点、アメリカ留学を経験していたけれど、韓国での就職がなかなか厳しいとぼやいてた。結局日本に来て日本人と結婚し子育て。韓国では子育てをしたくないような印象だったことを思い出した。

人はいつの時代もコンプレックスの塊なのだろうか。
自分が成し得なかったこと、送りたかった人生、そういう青写真がいつも頭の片隅にあって、それを子に託す。自分の人生を生きることを諦め、犠牲にし、子どもに全てを注ぐ。そういう親が多いとそれが標準となり、ある種世の単一化された価値観となる。結果、子どもたちは自分たちが「人生成功者=勝ち組」になると、同じような人生を我が子におくらせることが親孝行だと信じてしまう。でも、当時の強烈な競争と、また自分が抱えていた同じ苦しみが思い出され、今度は子どもにさせるのか、と足がすくむのだ。たとえ成功者になれなくても、それはそれで財力の問題や自信喪失から子どもを持つことは無理だと思ってしまう。

子供が親の望む通り生きることがベースにある以上この連鎖はどうしようもないのだから。


久しぶり友人と飲んだ。

友人は上の子たちが大学生になり家を出て、思うところがあるようだった。友人は、親の言いつけ通り、親が望む人生を送ってきた人。勝ち組の彼女は同じように子供達に期待し、彼女が思う道を歩ませているようだった。
しかし、都会に出た子は時代に、周りに感化され、自分の価値観を築き始め、初めて親子で対立することが増え、今になって反抗期に苦しんでいる。家を出た大学生に、社会を少し垣間見ている成人に、もはや親のコントロールや洗脳は効かない。日本は、実は都会だからこそ結構価値観の多様化があり、田舎と違っていろんな人がいて、生き方をそう咎められることはない。これは韓国ソウルとはちょっと違うのかもしれない。

親ってなんなんだろうな、とふと思うのである。

人は未熟で、未熟な人生のまま成人し、子どもを育てることで自分の人生をなぞるように人生2回目を送り、孫ができることでやっと成熟していくのか。
ならば所詮未熟なのでうまくいかないことが多くて当然だ。
だったら親になったら、いやならなくても、そもそも大人が自分の人生を一生懸命生き、働き、楽しむ生き方が大事ではないか。子どもに過度に期待したり、自分を投影したり、「自分のようになるな」と呪いをかけるのは重い十字架になって子どもを苦しめるのだから。

親が活き活きと生活を楽しみ、この世は楽しいところ、困ったり悩んだらいつでも家族がいるよ、味方がいるよ、というメッセージを送るなら、子供は自分の軸で自分がやりたいことを見つけ人生を充実させていくはずだ。
そういう子が成人し、子どもを持とうと思った時、心理的な「少子化問題」は解決していくのかもしれない。

帰り際、夜道を歩きながらほろ酔い頭で考えていた真夏の夜の話。

日々是感謝 羊

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