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女50友はどこへ

アラフィフ女たちの友人状況はいかがなものだろう、と新年早々思う。

元旦に届く年賀状は年々減少し、3日以降にポツポツと、そして今年は毎年届く長年の大学時代の友人から届かなかった。
子供も大きくなると、さまざまな状況があり、年賀状を書けない心理に陥っているのかもしれないし、突如老親の介護が始まったのかもしれない。若い時よりもっとネガティブな想像をしてしまう。ラインでたわいない近況を交わすこともない年一回の薄い関係。遠方住まいでほとんど会うことはなくても過去の自分を証明してくれる「人」であり、一年の始まりに互いにエールとご多幸を祈る、そんなささやかな関係。
それが長年の文化だったはず。
いつしかフェイスブック的に近況報告が自慢大会になってきたり、本来の年賀状の意味がなくなりつつあるのも本当のこと。自分の心の状態で「音信」から遠ざかるのも至極わかるのだ。

近所に80歳を過ぎた一人暮らしの女性がいる。とても礼儀正しくて愛情深い方で、子どもたちが小さい時から見守ってもらってきた。今年は私自身、家族の行事で忙しくて松の内を過ぎても近所で出会わないので挨拶できずにいた。そのうち、向こうから杖をつきながら庭木の柑橘を手にやってきた。やや無愛想に。

後日、お茶菓子を持ってお礼と挨拶に伺ったらとても喜んで立ち話に花が咲いた。というか、ほぼほぼ息子さんの自慢話。その息子さん50歳。
高齢者の自慢話はいくらでも聞いていられる。自分でも不思議だけど。
結局寂しかったのだ。彼女の子供たちはもう何年も、いやほとんど帰省することもなく、近所の私を娘と思っているのかとても親身にしてくれる。だから新年になってもなしのつぶてにちょっとしびれを切らしちゃったのね。
これからは彼女の一年一年を大切に年始にはこちらから挨拶に出向く習慣を作ろうと思う。

友人、という言葉は年々年賀状を数える度に重く感じる。
近所のおばあちゃん、いつも配達に来てくれるヤマトのお兄ちゃん、クリーニング屋のおばちゃん、美容師さん、行きつけのカフェの店主、近所のねこまでも互いに存在を認識していて、会うと笑顔になり、たまに会いたくなる、そんな人はみんな一通り友達でいい。探せば何気ない日常にそんな人たちがたくさんいるはずだ。血縁とか同窓とか幼馴染とか後輩とか過去のしがらみに縛られないで、今日常にある「笑顔の友」は、きっと誰にでもいるはず。

それさえないなら今日から笑顔で挨拶から始めればいい。

結局、身近な人との笑顔で対面での挨拶が大事、と気づいた2024年の1月。

日々是感謝 羊

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