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<短編>虫のかんさつ

「哺乳類」というのは不思議な種族です。次世代を生み出すためには、必ずお父さんの精子とお母さんの卵が受精して、「受精卵」を作る必要があります。「当たり前じゃないか」と思うお友達もいるかも知れませんが、そうではありません。こういった「有性生殖」しか自分の子孫を増やす方法がない「哺乳類」は、自然界ではむしろ例外の部類に入ります。

「ナナフシ」を見てみましょう。木の枝そっくりのユーモラスな外見を持った彼らは、一匹だけで飼っていても卵を産みます。この時交尾の必要はありません。卵からは自分の姿そっくりのナナフシが孵化して成長するのです。こうして、自分の遺伝子の完全なコピーを持ったナナフシが誕生します。これを「単為生殖」といいます。

ナナフシだけじゃありません。アリだって、アブラムシだって、ハチだって、時に応じて「単為生殖」と「有性生殖」を切り替えることができます。なんて便利なんでしょう!わざわざ自分の交尾の相手を探す必要がないのですから。

「なんだ、虫だけか」と思うお友達もいるかも知れませんが、そうでもありません。脊椎動物のうち、魚類でも、鳥類でも、爬虫類でも、「単為生殖」は確認されています。「単為生殖」では、基本的に親の遺伝子をそのまま受け継ぐ事になりますが、お父さんとお母さんの遺伝子を組み合わせることによってバラエティーを生み出す「有性生殖」と、単純に個体数の維持を目的とした「単為生殖」を条件に応じて使い分けている生きものはとても多いのです。

哺乳類ではこうはいきません。ボクたちの遺伝子には、「ゲノム・インプリンティング」と呼ばれる遺伝子の修飾によって、雄の遺伝子には、「お父さんの遺伝子ですよ」、雌の遺伝子には「お母さんの遺伝子ですよ」という印が付いているのです。この「お父さん由来」、「お母さん由来」の両方の遺伝子が存在することが個体発生にどうしても必要です。

お父さん由来の遺伝子だけでも、お母さん由来の遺伝子だけでも正常な個体発生はできません。例えば、「胞状奇胎」という病気は、なんらかの原因で「お父さん由来」の遺伝子だけで受精卵ができてしまうことで起こります。なので、現状では自分の遺伝子だけを使って完全なクローン人間を作ろうとしても、うまくいかないのです。

単純に生きものの体が「遺伝子の乗り物」であり、同じ遺伝子を増やす目的で存在するものであれば、単為生殖と有性生殖を使い分けられる方が便利に思えます。ボクが遺伝子の立場ならば、是非、虫の体の方に乗っていたいものです。間違って、ヒトの体に乗ろうものなら、「生殖の相手」が見つからなかったときに自分のコピーを増やせないではありませんか。「遺伝子の乗り物」としては虫の体の方が進化しているのです。

なんのために「ゲノム・インプリンティング」のような複雑なメカニズムがあるでしょうか?「胎盤の発達に必要だった」と言っている研究者もいます。お父さん由来の遺伝子が主に「胎盤」の形成に関わっているという事実を元にした仮説(これを「胎盤説」といいます)なのですが、これがほんとかどうかは誰にもわかりません。「どうしてお父さんとお母さんから遺伝子をもらわないといけないの?」こんな単純な質問でさえ、誰も答えを知らないのです。

進化の過程で「胎盤」を作ることに成功した「哺乳類」が、「遺伝子を早く、便利に次世代に受け継ぐ事」を犠牲にして手にしたものはなんでしょうか?「子供の生存確率」です。「胎盤」のおかげで、哺乳類は長い妊娠期間を持ち、子宮の中で胎児を育てる事ができるのです。このことが、生まれた子供の生存率を飛躍的に上げています。

さて、哺乳類の中でもヒトは、際立って幼年期が長い生物です。生まれたての子鹿は数時間で立って走ることができますが、赤ちゃんはハイハイするのにでさえ半年以上の時間がかかります。この長い長い幼年期にヒトは脳を育てています。脳の発達により複雑なシナプス結合が生まれ、その複雑性は最終的に「意識」を生み出しました。この「意識」は当初は単純に食べ物のありかを把握し、覚えて、どこへいけば食事にありつけるかを予想することで、競争者に勝つために生まれたものかも知れませんが、ヒトの意識は、言葉の習得と相まって、そのレベルを遥かに超えた働きをしています。

ヒトは、宇宙の成り立ちを、あるいはその行く末を知ろうとします。ヒトは神様の存在を想像します。ヒトは恋をしますが、相手のために身を引いたりもします。相手の同意なしの交尾はヒトの持つどの文化においても厳しく罰せられます。なぜなのでしょう?

ボクには、「ヒト」が、単純な「遺伝子の乗り物」としての役割に抗うことを覚えた種族のように思えるのです。次世代に遺伝子を確実に伝えるために進化してきたはずのボクたちの脳が、当初想定された役割を超えた「意識」を生み出し、生存の役には立ちそうもない宇宙の仕組みを考えたり、誰が読むとも知れない小説を書き始めたり、自分たちが生み出した「神」に貞節を誓ってみたり、、。これらは「ただ自分のコピーを増やせ」という遺伝子の命令に対する「乗り物の叛逆」のようにさえ見えてきます。ヒトの本質は「ひねくれ者」なのです。

そして、こんな「ひねくれ者」のヒトという種族が、「己のコピーを増やせ」というデオキシリボ核酸の働きかけに抗って、今後どこへ向かっていくのかな、と想像するのは、「ドンキホーテの物語」を読んでいるようで、楽しみでもあり、どことなく物悲しくもあるのです。


「こんなところでどうかな?」

「夏休みの友」を前に、ウチムラはいとこのタカシに話しかけた。

「全然ダメだよ。まだ習ってない漢字が多すぎる。悪いけど何言ってんのかわかんない。それに、なんだかエッチな事が書いてある気がする!」

タカシは不満そうだ。

「そうか、、。ちょっと難しくなっちゃったかな、、。そんなにエッチだったか、、。」

ウチムラはちょっと赤面して、頭をかいた。

夏休みの自由研究、「虫のかんさつ」を手伝って欲しいと頼まれたウチムラであったが、たとえ小学生の宿題であっても、虚実ないまぜの饒舌と蘊蓄を散りばめてしまうのは、完全に彼の病である。

しかし、ウチムラは気づいていない。

わずか8分の1しか遺伝子を共有していない「いとこ」のために、これだけのエネルギーを使って宿題を手伝うその行為。

彼を駆り立てる原動力の少なくとも一部は、ウチムラ自身の「遺伝子」が、似た遺伝子である「タカシ遺伝子」の繁栄と生存のために、「乗り物」である彼に命じた結果だということに。

(了)

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