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大きなクスノキの下で

「いつまでそうしているつもりですか?風邪をひきますよ。」

「あんまり空が綺麗だから。」

「会話が噛み合っていません。それでも国語の先生ですか?僕はそこにいる理由を聞いているのではありません。いつまでそうしてるのか、と聞いているのです。また父兄に通報されてしまいますよ。」

「ああ、あれは悪いことをしたねえ。学校には心配をかけたし、父兄に恥もかかせてしまった。」

「恥をかいたのは先生だけです。しかしそう思うんなら、そこから降りて来てくださいよ。それと、先生らしい身なりをしてください。失礼を承知で申し上げますが、それでは浮浪者と間違われるのも無理もありません。」

「あはは。」

「あははじゃありませんよ。」

「しかし、『先生らしい身なり』ってなんだろうねえ?」

「よくはわかりませんが、少なくとも薄汚れたジャケットと、穴の空いたチノパンではない事は確かですね。」

「こう見えてもちゃんと洗濯はしているよ。汚れて見えるだけなんだ。」

「そういう問題ではないのです。『そう見える』、ということが肝心なのですよ。」

「そんなものかも知れないねえ、、。」

「先生、、。怒ったらいいのですよ。僕はさっきから失礼なことばかり言っているのですから。一介の生徒が先生に言うべきではないことを。」

「『言うべき』、ねえ。しかし君の言葉はある一面から見た真理だからねえ。」

「そんなことだから生徒に舐められるんです。先生の授業を聞いているものが何人いると思ってるんですか?先生が入室したら、モーゼの『海割り』みたいに生徒の頭がパタパタと倒れていくんですから。あれ、みんなお辞儀してると思っていませんか?違います。あれは皆寝る体制に入っているんです。」

「それくらいは知ってるよ。」

「悔しくはないんですか?」

「悔しくない、と言ったら嘘になるねえ。でも考えてみたら、僕の授業は必ずしも受験の役に立たないもんねえ。受験の役には立たなくても、人生のどこかで、僕の授業を聞いておいてよかった、と思い出すような、そんな授業が僕にできればいいんだけどねえ。」

「一応何かを教える気はあるんですね。びっくりです。先生は催眠音波を出す練習をしているのだとばかり思っていましたよ。」

「あはは。面白いねえ。だとすると、君は催眠音波に抵抗する修行をしている事になるねえ。」

「学校に来て、そんな修行をする羽目になるとは思いませんでしたよ。」

「言葉とは、それを受け入れる準備ができたものにしか届かないものなんだよ。僕の授業の中にも、学びの種はいくらでもあると信じてる。でも、準備ができていなければ、君たちの前をそれはただ通り過ぎていく。その準備がいつ整うかは誰にもわからない。そういうものなんだ。」

「…言い訳にしか聞こえませんけどね。授業を聞かせる力量がないことへの。」

「そうかも知れないね。だが少なくとも今、君は僕の言葉を聞いてくれているんだ。たとえそれが風紀委員としての責務であり、浮浪者として通報されかねない薄汚れた教師を木の上から引きずり下ろすためだとしても、、。せっかくだから、ここへ登ってみないか?」

「ご遠慮させて頂きます。」

「鳥の気持ちは、実際のところ空を飛んでみないとわからないよね。だけど、木の上に登ってみると、鳥に近い気持ちにはなれる。下を向いて歩いている人には見えないものが見えるよ。せっかく校庭にはこんな立派な木が生えているんだ。一度は登ってみることだよ。」

「先生は、詩人なんですよ。そして、僕たちは皆が詩人と言うわけではないのです。通報されるのを恐れないものもいれば、恐れるものもいるんです。」

「そうか、、。」

「とにかくそこを降りてください。そうしていただけなければ、僕は帰れません。」

「それはすまなかったね、僕がここにいると、君は帰れないし、この枝に縄を引っ掛けて、ぶら下がることも出来ない、と言うことだね。」

「!?」

「数少ない僕の授業を聞いてくれる生徒だからね。君のことはちゃんとみているよ。ずっと前から。風紀委員、規律を守らせる立場は辛かったね、、。君のことを悪し様にいうものもいただろう。君はただ、真面目に自分の仕事をこなしていただけなのにね。だが、空を飛びたいなら、ぶら下がるのではなく、まず登ってみるといい。そのほうが少しでも空には近づけるよ。」

「…。」

「詩人の言葉は、準備が出来てない人にはなんの役にも立たない。だけど、ごく一部の人の心に届いて、その命を救うこともあるんだよ。空はとっても綺麗だ。さあ、君もここに上がっておいでよ。」

(了)

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