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【良い子に「良い子」を辞めさせる教育】

「良い子に良い子を辞めさせる」
なんか自分の目指す教育は結局ここなのかもしれないと最近感じた。

小学校でのボランティアをする中で日々感じることでもある。

特別支援教室に行った時、
ADHDの子、自閉症の子、ダウン症の子、
いろんな子がいた。そして、全員がクラスの一員として受け入れられていた。

たった数人のクラス。広い教室。
でも確実にそこには彼らの拠り所があった。
そして全てが個性として許容される世界だった。

バスが通る。
「見たい」という衝動で、立ち上がり走って窓に駆け寄る。
通り過ぎてしまったバスを窓に張り付いて眺める。

理科の実験キットを受け取る。
先生の指示の前に、自分で説明を読んでもうすでに完成させている。
話なんてそっちのけで作業に夢中になる。

どう考えても、子どもとしてあるべき姿じゃないか?
少なくとも私にはそう見える。

バスが見たい。でも今は授業中だからグッと堪えて我慢する。
早く組み立てたい。でも先生の指示の後じゃないと怒られちゃうからグッと我慢してじっと座っている。

我慢できる子が「良い子」になる世界。
自分の欲求が実現できない環境に耐えられる子が「良い子」の世界。

そんな世界やめた方がいい。

子どもたちみんながいい子になりすぎたせいで、「子ども」のままでいる子が問題児として扱われてしまう教室の中。

子どもたちが大人の目を気にして自分を押し殺すことに上手くなりすぎて、
自分の興味に純粋な子がおかしいと思われてしまう教室の中。

子どもたちが、大人のために行動を制御している。
子どもたちが自分に向けられる評価のために無理をしている。

子どもたちが良い子になればなるほど、ほんの少しの違いが大きく目立つ世界になってしまう。
我慢している子を褒めれば褒めるほどその子が子どもじゃなくなってしまう。

小学校の教室を見ていると、手のかかる問題な子が問題なんじゃなくて、
周りの子たちが我慢しすぎているんだよって思う。
私は好き勝手やっている子たちが大好きだ。
いいぞいいぞって心の中で思ってしまう。

だから、私はこっそりその子たちに伝えたりもしてしまう。
私は最高に好きだよって。昼休みや授業の合間に、
「いや〜本当にいいよね、そう言うところがいいんだよね、私は大好きだなぁ。」
きっとみんなから否定されているだろうその子の行動を、私は全力で肯定しにいってしまう。肯定してくれる人もいるんだ、ってその子の自分を責める気持ちや自信を諦める気持ちが前を向いてくれたらいいなって思う。

最近の子どもたちは大人すぎる。
大人になるのがはやすぎる。
子どもだけの世界を抜け出すのが、現実を見るのが早すぎる。

「良い子」は等身大じゃない。
誰かのために「良い子」になっている賢い子たちだ。
私はそんな子達が「良い子」にならなくていい世界を作りたいんだ。

なぜなら、私が「良い子」だったから。
表面の自分に必死で、本当の自分をなくしかけたから。



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