『バービー』とパフォーマティヴィティとパロディ
日本公開前に全世界興行収入が10億ドルを突破した『バービー』を先ほど観てきた。この作品も前記事で紹介した「エステティック」概念による価値創造を体現した映画のように思うが、本記事ではパフォーマティヴィティとパロディという別の光の当て方を紹介したい。なお、本記事は最後まで公開情報の範囲で記載する(ネタバレ含む内容自体の考察については、数多ある他の記事や動画を参照されたい。また、ソーシャルメディア上のやり取りをめぐる批判については触れていない)。
パフォーマティヴィティ performativity / パロディ parody
本記事がいうところの「パフォーマティヴィティ」概念と「パロディ」概念は、ジュディス・バトラー著『ジェンダー・トラブル』に関する、京都大学経営管理大学院 教授の山内裕先生による以下の記事を参照している。核となるいくつかの文章を転載するが、ぜひ原文を一読いただきたい。
『バービー』におけるパロディ
言わずもがな、『バービー』は人形(ドール)を題材とした映画である。この人形としてのバービーとケンは、人形という立場でありながら、「女」と「男」というジェンダーを体現する。そして、バービーランドとリアルワールド(人間の世界)が存在し、さらにバービー(とケン)という人形をつくったマテル社も登場する。このような登場人物と複層的な舞台のなかで、スタッフロール直前の最後の一言まで、徹底的にジェンダー(あるいは生物学的性差といわれているセックス)についての「パロディ」が演じられているように執筆者には感じられた。それはある種のコメディのようにも映るが、人形(をめぐる人間)を通してジェンダーそのものを高度に批判している、極めて政治的な映画であったように思う(ここでの「政治」という言葉の扱いにも留意が必要である)。
個人的にはエンターテイメント映画としても好きな作品だったが、このようなレンズを通しても、また観たい思える作品だった。
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