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「エステティック・ストラテジー」とは何か:2年目の私的まとめ後編

Kyoto Creative Assemblageの前半にあたるPart1「エステティック・ストラテジー」について、自身の学びの整理として本記事を書きました。ぜひ前編を一読いただいた後に、本記事をご覧ください。この後編についても、山内裕先生の趣旨・主張を正しく汲み取れていない可能性がありますので、あくまで一人のフォロワーが受け止めた内容とご理解ください。


エステティック・ストラテジーとは、既存の意味のシステムを解体し、人々が本当の自分を感じられるような世界観を呈示するためのイノベーション論である。後編では、以下の目次順でキーワードを追うことで、イノベーションを起こそうとする組織が取りうるアプローチを見ていく。


前編の振り返り

勝者の歴史として構築されてきた既存の意味のシステムの中で、人々は自己表現にまつわる不安や悶々とした感覚を持ちながら生きている。そして、日常のなかで、世界観を持つ商品などを通じてイデオロギーは“よびかけ”、人々は“ふりむく”ことで同一化による自己表現をしている。この背後に〈他者〉や無-意味が持つわからなさや謎があるからこそ、人々は駆り立てられ、欲望する。

無-意味への欲望は“享楽”と説明され、その倫理的享楽によって本当の自分を知ろうと無-意味の深淵を覗き見ることこそが、人々の自由の遂行である。その実現のためには、“既存の意味のシステムを解体すること”が求められる。これが、エステティック・ストラテジーにおけるイノベーションの定義である。

美学=感性論、美学の政治

前編および上の振り返りで述べた通り、目指すべきは既存の意味のシステムの解体である。つまり、既存の意味のシステムを前提に、空想の中で構成される欲望を増幅させるに留まるものではない(それで組織が利益を上げたとしても、イノベーションとはみなさない)。

この“解体”を体現するのが、名称にも掲げられているエステティックである。まず、意味のシステム(=言説)には収まらない過剰に向き合うということは、必然的に感性的な水準で考えることになる。それを扱う“美学=感性論 aesthetics”の基礎は、イマヌエル・カントの『判断力批判』で説明された美的判断にある。美的判断とは無関心の適意であり、そこには目的なき合目的性がある。ここから、美学とは、既存の目的や意味の連関から宙吊りにすること、いわば訳がわからない状態をつくることを指す。この宙吊りが“解体”と符号する。

そして、ジャック・ランシエールは美学を“政治 la politique”と結びつけた。政治とは、政治的討議によってだけではなく、政治的討議が理解可能となる舞台の創出に関わる。つまり、“感性的秩序(配分) le partage du sensible”、何が感じられ、何が感じられないのかの規定こそが問題である。このことから、政治とは、“分け前なき者の分け前 une part des sans-part”という“間違い le tort/wrong”を“表出 manifestation”することで、感性的秩序を切断する活動を指す。すなわち、政治とは美学である。

敗者の救済、革命

ランシエールの説いた政治を読み替えれば、既存の意味のシステムを解体するための突破口は、“分け前なき者の分け前”という“間違い”、つまり無-意味であり、敗者に見いだせる。敗者とは意味のシステムを安定的に成立させるために排除されているため、視点を変えれば、既存の意味のシステムにとっての脆弱性である。ヴァルター・ベンヤミンは、敗者を歴史の連続性からもぎ取ることを“救済 Erlösung/redemption”と称した。つまり、“敗者を救済する”ことは、既存の意味のシステムの解体へと繋がる。なお、救済の言葉が意味するところは、敗者を勝者にすることや新しい歴史の連続性を作り出すことではなく、歴史を断絶すること自体である。

そして、この敗者の救済は、“革命”とも通じている。その説明については、山内・佐藤(2023)のなかで筆者がぐっときたパラグラフをそのまま引用する。

勝者の歴史の中で忘れられてきた敗者を救済することが,新しい価値の創造になる.ベンヤミンは過去への跳躍が革命を生み出すという.もちろん,過去に戻りその過去自体を問題にするのではなく,過去が現在において救済されるのであり,過去の救済とはイマココの時間において歴史を書く行為である.それは現在の自分の抱える悶々とした敗者を救済することに重なり,同じ時代の多くの人の抱える敗者の救済でもある.

山内裕・佐藤那央(2023)「価値は文化をつくることで生まれる」サービソロジー 

以上を踏まえると、エステティック・ストラテジー、ランシエール、そしてベンヤミンの言葉の対応は以下となる。

  • 既存の意味のシステムの解体 =イノベーション

  • =(間違いの表出による)感性的秩序の切断・宙吊り =美学の政治

  • =(敗者の救済による)歴史の断絶 =革命

これらのアプローチに共通する、無-意味を既存の社会に見せつけることは、社会批判とも言える。

星座

突破口としての敗者を捉える、つまり社会をよく見るにあたって、ベンヤミンが提唱した“星座 constellation”概念は示唆を提供してくれる。ひとつのバラバラの事象・現象としての“星”をつなげることで、異質な星が意味深く並存する理念(=星座)となる。取るに足らないように見える小さな事象であっても、星座にすることで、それらの事象が持つ意味のシステムには収まりきらない過剰が際立つ。その過剰こそがわからなさであり、語りえない敗者である。そして、多くの事象が表現しようとしている敗者があるのなら、それは行き詰まりにある時代が向かおうとしている方向性と考えられる。

価値転換

見いだした敗者を表現するにあたって、フリードリヒ・ニーチェが提示した“価値転換 transvaluation”が参考になる。既存の意味のシステムの中には価値基準も構築されているが、それを前提にして敗者を「なのによい」と“怨恨 ressentiment”的に提案することは、同じ価値基準に留まっている。そうではなく、敗者を「だからよい」とそれ自体をただ肯定し、新しい価値基準を提案しなくてはならない。いわば、既存の意味のシステムを引きずらない、いさぎよさが求められる。そして、人々がそのような提案に“ふりむく”ためには、ジジェクが言う綴じ目としての空虚な記号も必要である。

敗者(無-意味)を核とした、いさぎよさや空虚な記号など、こだわり抜いた世界観はある種の異常な表現のように映る。しかし、そのようなわからなさ、謎こそが、人々が同一化しようとする“まなざし”となり、人々を享楽させる。

前編も合わせた以上の内容が、既存の意味のシステムを解体し、人々が本当の自分を感じられるような世界観を呈示するためのイノベーション論「エステティック・ストラテジー」の全体像である。Kyoto Creative AssemblageのPart1では、この理論の講義に加えて、理論に即した実践的なグループワークにも取り組んでいる。


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