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解散風は誰が流したのか?

突風

 5月に開催されたG7広島サミットで、岸田総理は大きな成果をあげた。G7メンバーだけでなく、グローバルサウスのリーダー各国やゼレンスキー大統領とも会談の機会を設け有意義な時間を設けられた。これにより、読売新聞の世論調査(5月20日〜5月21日)では、56%の支持率を記録した。

 これまで「検討使」だとか統一教会問題とかで支持率は長らく低迷していた中で、久しぶりに支持率が跳ね上がると共に日本株が3万円を回復したことなどから解散風が永田町に突発的に吹いた。

 長らく低迷していたものが上昇し始めたため解散には最適な時機に見えるが、10増10減が次の総選挙から始まるため各党がその対応をしていた最中であった。自民党と公明党との間では東京都の選挙区を巡り軋轢が生まれていた。加えて、自民党の幹部でも解散の大義や考え方を巡って相違があった。上記等を勘案した結果、通常国会では解散をしないと決断したと考える。

 余談であるが、宏池会においてサミットと解散には浅からぬ因縁がある。大平正芳総理時代は1979年6月にサミットがあり同年10月に解散総選挙があったが敗北した。また、宮澤喜一総理時代は1993年7月にサミットと解散総選挙が実施された。結果は、55年体制以後、自民党初の下野と言う無惨な結果であった。2人の宏池会の先輩がサミット開催年に解散総選挙を実施し、両者共に敗北を喫すると言う「忌まわしい因縁」がある。岸田総理はそういった類の周縁を気にしないだろうが、不吉な過去があったことだけは書き留めておきたい。

メディア幹部と会談

 突然、永田町に解散風が吹いたのだが、6月に入り岸田総理は相次いでメディア幹部と会合を設けていた。6月6日には、フジサンケイグループの日枝久代表とパレスホテルの日本料理店「和田倉」で2時間ほど会食をした。日枝代表によると、G7での苦労話をした一方で、衆議院解散や総選挙などの政治日程について岸田総理は語らなかったと言う。6月8日には読売新聞本社で渡邉恒雄主筆と懇談した。この懇談は日中に行われ時間も30分ほどであった。渡邉主筆との会談内容は公にされていないため窺い知ることはできないが、依然として政界に影響力を有する人物とこのタイミングでの会談は政治日程を含めた話が行われた可能性を否定できない。フジサンケイグループと読売新聞と言う岸田政権に近いメディアの幹部との会談はそれなりの意味を持つ。

今後の展望

 マイナンバーカード問題で岸田政権の支持率は急落した。各種世論調査においてもマイナンバーカード問題は批判的な声が大多数であり、また、保険証の廃止についても反対が過半数を占める。G7成功による上昇気流は完全に無くなった。この状況で解散を行う利益は見当たらない。メディアでは、次は秋に行う可能性が取り沙汰されているが、低空飛行を続ける様では解散は難しい。

 解散のカードを切れないとなると次のカードは内閣改造・党役員人事である。支持率が低迷する中ではあり得る選択肢である。特に、臨時国会を迎えるにあたって心機一転する意味でも内閣改造・党役員人事はうってつけである。

 ただ、自民党には苦い経験もある。麻生総理時代に解散の時期を見誤ったことで野党に転落した過去がある。先に行われた統一地方選挙では日本維新の会が躍進した。また、公明党とは東京都以外の選挙協力を締結したが、しこりは残る。解散は総理にとって最大の武器であるが、使い方を間違えると自らを陥れる諸刃の剣でもある。一旦は見送った解散であるが、時機を誤れば退陣せざるを得なくなるため岸田総理にとっても悩ましい問題である。

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