石廊崎 第2章

 西伊豆の松崎町岩地にある岩地海岸。小さな入江の穏やかな波、透明度の高い海水、白い砂浜によって形成された美しい海岸である。主要道路は一本の国道が走り、その道沿いから見下ろす遠浅の海はコバルトブルーに輝いている。その国道よりも低く、浜から山を切り崩した傾斜に岩地の家々が軒を連ねている。そして松崎町は‹花とロマンの里›と掲げられたスローガンの大きな看板のとおりに、いたるところに花壇がつくられ、緑は萌え、青い若葉が太陽に光っている。
 松崎町は風情のある町並みと西伊豆の豊かな土壌によって豊富な山林に恵まれ、木々は海からの潮風に軽く踊ってみせるかのようにそよぎ、風がいつも町に新鮮な息を吹きかける。風は南から吹き、暖かく心地よかった。風は澱んだ空気をさらい、新しく入れ替えていく。塩で清められた海の風。太陽がなにもかも瞬く間に照らし、細かい光の粒子が空を舞い、海の香りを連れてくる。海面は太陽に照らされてまぶしく光り、一本の光の道をつくっている。
 岡崎潤一郎はこの土地の空気が気に入って半年前に移住した。昔ながらの街、古びた海岸沿い、波と風と虫の声…肌にあっていると素直に感じた。一日もいれば身体になじみ、ここしかないと思えた。ごく自然なあたたかさと静けさを求めていた。それは人間のしつらえたぬくもりではなく、海風のように、さりげないもの。ほのかに暖かい微風が素肌をかすめ、波の音は心地よく鼓膜を通り抜ける。その一方的で見返りを求めない純粋なさざ波の音…。こちらの答えを求めることなく、ただ繰り返される不規則な音…まさに海風そのものが唯一、潤一郎の肌に触れ、癒しをくれた。ここに居れば生きていけるかもしれないと彼は思った。そこには、超越的なもの。神聖で汚れのないもの。そんな海への畏怖と期待が彼の心を捉えていた。この地を訪れて以来、その環境だけが彼を支える唯一のものとなった。言葉もなく、憐れみもなく、干渉もない。生きていくことにおいて、ただ息をすることができる場所が欲しいと願っていた。その居住の地こそ、松崎町の岩地だった。
 
 ある日、潤一郎は海を眺めに岩地海岸からから少し離れた磯へ出掛けた。彼はこの半年間仕事をしていない。日々やることのない潤一郎はよく人気の少ない磯へ向かって散歩する。不安定な岩場や雑木林を抜けると、火山岩でできた凹凸のある地面が広がっていた。千畳敷というものらしい。この伊豆半島はそもそも海底火山によって本州と衝突や火山の隆起を繰り返した土地でもあり、何層にも入り組んだ地層でできた複雑な地形が特徴である。そのため植物や生物も豊かな生態系に富んでいる。 
 潤一郎は足が滑らないように慎重に地面を捉えながら、打ち寄せる海水に足を浸す。足元にはしきりに波が押し寄せる。その波の不規則でゆるやかな流れは、常に繰り返されていた。決してその場に留まることがなくしきりに水は動き続けている。それは引力によるものに違いないのだろうが、まるで意志をもって運動をしているようにも思える。
 絶えず水がそこにあることを、潤一郎は生まれて初めて不思議に思った。すぐ近くに藻が絡んだ岩場があり、ヤドカリが歩いている。よくみると、ヤドカリは無数に生息している。どのヤドカリも自分にしっくり合う貝殻を見つけてとても気に入った様子で背負っている。まるで仕立ての良い洋服を数センチの狂いがなく、フィッティングしているみたいだと思った。あるいはあえてサイズの大きいとトレーナとジーンズをおしゃれに着こなしている感覚か…。つまり自分に寄せるかモノに寄せていくかなのだろう。そのあたりは個々のセンスによるものなのだろうと時間をもて余した彼は考える。
 ヤドカリの少数派ともいえる数匹は、プラスチック片やボトルキャップを背負っているものがいた。(貝殻はそこらじゅうにいくつもありそうなものなのに、彼らは好き好んでその家を選んだのだろうか?)潤一郎はヤドカリに聞いてみたくなったが、首を振り視線をあげた。(人の家の事情はどうだっていいじゃないか。ましてはヤドカリにはヤドカリの考えがあるのだろう)そう思うととたんに興味がなくなり、ヤドカリのことはすでに潤一郎の頭から去っていた。ふたたび千畳敷のしまを描く模様を観察し、その割れ目をじっくり眺めると、すこしの水たまりでも水槽の中を覗いているようにさまざまな藻や貝や小魚がそよいでいる。潤一郎は顔をあげ、眩しさに目を細めながら磯を歩く。
 岩場に近づくと、腰掛けるのにちょうどいい場所がある。海を見渡すのに適している。その岩は多少ごつごつとしていたが、腰をおろすためにふさわしい平らな面をもっていた。じりじりと日に焼けた岩の熱さとごつごつとした感触を尻から太ももに感じながら腰を据える。そこにあった腰掛けにしては、案外心地がよかった。そしてポケットから取り出したタバコを口に加え、ライターで火をつけて喫する。苦味をともなう舌先の感覚を彼は無意識に求めていた。その喫煙という行為は呼吸そのものを目で見るように感じることができる。自分の吐く息によって気分が落ち着く。
 タバコを吸いながら眺める海原は、決まって穏やかに見える。呼吸のリズムと同じように波の音がする。ずっと遠くに漁船が浮かんでいるのが見えた。潤一郎は、水平線をはしからはしまで、視界に見えるかぎり眺めてみる。
 そして彼はたびたびこう自問する。
 (僕はなぜ生きているのだろう)
目路限りない水平線を眺めては、答えのでない問題を自らに提示し、なぞかけのようにそれについて思いをめぐらせる。いくら考えたところで答えはでない。鬱蒼とした思いは募るばかりで、答えのでない日々を過ごしている。ヤドカリの家のことのように、答えがなくても解せるものではない。岩に打ち付ける波の音が潤一郎の心に空虚な余韻を残し、潤一郎はその音に浸ることで寂しさを全身に満たす。海はしだいに茫漠とした時間の象徴のように思えてくる。吐き出すタバコの煙は、黒々とした色をもつため息のように彼の体内から放出された。そして一本を吸い終えると、持参した吸い殻入れに不要となったタバコを押し込み、二本目のタバコに火をつける。そしてまた肺に入れる。その行為は非健康であるがゆえにときに彼を恍惚とさせる。
 彼は感傷の味のタバコを吸い、孤独にひたるために海をみているのだ。それをすることで、より深い孤独を味わっているとも知らずに。たとえば傷口を水に浸すと、空気にさらすことよりもずっと痛くしみるように。そうやって彼は無意識に痛みを痛みとして確認しながら、体内に植え付けていくのだ。肺につくタールのように、日に日に沈着していく。

 いつしか日が傾いていくのと同時に潤一郎の心はさみしさに囚われて、頭の中は真奈美と結のことを思っていた。彼の内部には曇天のように暗い雲が立ち込めた。二本目のタバコを吸い終えると、また吸い殻入れに入れる。そして来た道をまた戻って行く。潮がだいぶ満ちてきた。海が道を消さないうちに、家に帰らねばならない。
 このまま行方を眩ましても、誰にも気が付かれないのだろうが。

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