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夢と曼荼羅

久々に母の夢を見た。
それは死に目に会えなかった夢で実際とは反対の夢。
死に目に会えなかった人たちが死に目に会えてた。

夢は不思議。

その時は僕は自分のこだわりを選択して
行者についていったけど
後悔に執着していて
本当に大切な人との別れから逃げようとしていた。

その間、死に目に会えた人は
死ぬまで色々語り合ったり
母の意外な一面を知ることになる。
それを聞けなくて悔しがる僕。

行者と一緒に向かった先は
素晴らしい場所でもなんでもなかった。
ただの、どこにでもある山道の側溝。

こんなもののために、
貴重な時間を使ってしまったのか?
枯葉が水を流れていった。

僕は踵を返して家に行った。
もう壊してないはずの幼い時を過ごした家。
いい思い出がなかった家に。

人生は選択だ。

昔ならここで終わってた。

空海の弟子になって思うことは
側溝の水を流れていく葉っぱも
同じ生の時間を生きているということ。

ただ、コツコツと生きている。
人知れず、生きている。

ということを、夢から学ぶ。
枯葉は母かもしれないし、
僕かもしれない。

やがて枯れて、この世から違う次元にシフトする。
この夢の世界のように。

どっちが真実か問われれば、
両方が存在する世界こそ虚空なんだと。

僕は片面でしか生きてこなかった。

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真理先生に曼荼羅を描くことを学んで
対面にある世界を意識するようになった。

上下、左右、対角線。
八方に胎蔵の世界があらわれる。

それは8時元でもあったんだと
学びがあった。

ケテルとマルクトを除いた世界。
今ここを生きるという曼荼羅……
これも生命の木だったんだ。

納得して
夢の中にいた別人格の自分に
癒しの光と言葉を与えたいとおもう。

南無大師遍照金剛 合掌

僕をアーティストとして育ててくださるサポーターの皆さまに感謝します。 画材や研究費に大切に使わせていただきます。感謝💖🍀