見出し画像

オンライン会話で起こっていることの根っこにある「応答すること」と「沈黙との付き合い方」。

しあわせホテルのかずです。

今日はだいぶ日常に浸透してきたオンラインでの会話について、自分なりに気付いたことをシェアしますね。

ここ最近、「ズーム疲れ」「オンライン疲れ」といったことを、自分の周りでもよく聞きます。こんな言葉で生まれてきているように、オンラインで話すことへの負の側面も、だいぶ出てきているようです。


上の記事にもある通り、非言語の手がかりを大切にしている人が、それを探そうと過集中することによって疲れると書いてます。画面越しに受け取れる情報は、普段のやり取りからすれば圧倒的に少ないですし、明るさや距離感によっても、見え方が全然変わりますよね。

また、そこに紐づいて、オンライン環境(ハード面)によるストレスもあって。音が聞こえない、変な音が聞こえる、通信が途切れるなど、ちょっとした通信異常によって、意識を向ける(向けなきゃいけない)先が増えることへのストレスも増大します。

違う側面として、プライベートと仕事の時間の区分けの難しさや、休息の欠如などもありますよね。これだけ「職」「住」が近づくと、その垣根や時間の使い方の塩梅など、それなりに工夫と経験が必要です。

https://news.yahoo.co.jp/articles/8d88c5af1333697973df8fbae0a93221aac71c1e

自分で事業をしている人や、以前からオンラインを活用していた人は、そのあたりの知識やコツをたくさん知っていて(たくさん失敗してきた・苦笑)。僕もよく活用しているのが、画面を見ないお散歩しながら話す、お茶やお香などの香りを味わって身体をゆるめる、などがあります。


そんな中で、対話(ダイアローグ)を扱う自分として、特に大事だなと思うことが2つあって。それは「応答すること」「沈黙との付き合い方」です。

画像1

まず、コミュニケーションという相互作用は、話す側だけで成立するのではなくて、聞く側とセットで初めて成立します。なので、ちゃんと聞いてくれている、わかってくれている、ということを表情やうなずきを通じて受け取り、その受け取ったことを元に、次の言葉をつむいでいきます。

聞き上手な人って、応答上手なのだろうなぁと思っていて、言葉やうなずきだけでなく、全身で相手の声に向かい合って、受け取ってくれていることを示してくれています。一見、何もきいていないように見えても、同じ空間にいるときは、その人の状態というか、在り方から伝わってくるもので、そういったものを感じられたと思います。

ただ、オンラインでは音と映像に頼りがちで。特に、ビデオをONにした場合は、どうしても視覚に意識がいきがちです。多くの人は、普段から、目からの情報が圧倒的に多いですからね。それは、自然の中での活動をしていると特に感じます。

ちなみに僕は、森での体験を通じて、目に頼りすぎないほうが僕にとっては心地よいことに気づいてから、ちゃんとしっかり相手や状況を見ずに、ぼやっと全体を見るようにして話すことを意識してます(よく、眼鏡をはずして頭の上に乗せているのは、それが理由です)。この辺りは、人によって心地よさや塩梅が違うと思うので、自分にあったものを見つけるのがいいなぁと思ってます。

話を戻して。

つまりは、コミュニケーションを取るうえでは、ある程度、聞き手側からの積極的な関与が大切で。オンラインでの会話は、そのことを僕らに気付かせてくれているのかなぁと思ってます。

具体的には、わかりやすくうなずく、手でジェスチャーする、事前にそういったことを文言にして共有する等、すでに皆さんの工夫はたくさんありますので、それはそちらを参照してもらえるといいのかなと思います。


もう1つの「沈黙との付き合い方」とは、会話で生まれる「沈黙(=間)」を、どうみて、どう付き合っていくのか、ということです。

画像2


例えば、TV番組とか見ると、間はほとんどなく、何かしらの音やキャプションを出すことで、その間を繋いでいきますよね。それ自体は刺激の連続で、エンターテインメントとしては楽しいのかもしれないけど、コミュニケーションにおいても、その流れが強くあるなぁと思っていて。


相手と何かを話し合う中で、実は大事な要素の1つは「自分との対話」があると僕は思っていて。自分と対話する中で、今聞いたことや感じたこと、思ったことを自分なりに吟味したり、咀嚼したりして、自分のものにしていくのだと思うんです。


その時間がないと、ただ、外からの刺激に反応する、そのまま受け入れることしかできなくなるなぁと思っていて。ま、とはいえ、うまく作られたTVや動画は刺激的ではあるし、飽きないように考えられているので、中毒性があるのも事実なんですけどね(笑)

話を戻して。

会話の合間にある沈黙って、実は自分との対話をする上ではとっても大切な時間だなぁと思っていて。特に、今のような環境が大きく変化するとき、自分にとっては何が大切なのか、どうしていきたいのかを考える時間は大事だなぁと。なので、僕はオンラインにおいても、その時間を意識的にとるようにしています。


ただ、会話の中でいきなりそんな沈黙の時間をとっても、多くの場合は嫌がりますし、嫌な気持ちになってしまいます。なので、予め断りを入れておいたり、そういった場をあえてつくったりする中で、沈黙や間を味わう時間を試してもらうようにしています。


その時のメタファー(例え)としてよく使うのが「焚き火」です。

画像3

焚き火をしているときって、なんというか、時間がゆっくり流れるし、ちょっとした沈黙や間があっても気にならないじゃないですか。とてもじゃないけど、議論したり討論する感じにはならないかなと。ゆるゆると雑談しているような、あの感じでやりたいんですと言うと、なんとなくわかってもらえることが多くて。


他の例えだと、露天風呂に入りながら空を見てしみじみ話す感じとか、放課後の夕暮れ時に友達と公園とかでただただダベっている感じとか。なんか、無意味そうなんだけど、実はけっこう大事で好きだったりする、あの感じです。伝わりますかね。

オンラインでのやり取りは、どこかTVを彷彿とさせる感じもあって。だからこそ余計に、沈黙や間が怖くて、埋めようとしてしまいがちなのかもしれないですね。ちょっと、焚火やお風呂のイメージをしたり、実際に焚火の動画を流したり、ろうそくの火を眺めあったりするといいですよね。



オンラインで話すことは、電話やメールと同じように、慣れが必要なのだろうと思います。そして、個々人のコミュニケーションスタイルやTPOに合わせて、日常の中に馴染んでいくんだろうなと思ってて。


だからこそ、急がず、焦らず、じっくりと。オンラインと付き合っていくのがいいんでしょうね。

画像4


この記事が参加している募集

おうち時間を工夫で楽しく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?