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引きこもりだった弟を持つ私が、林真理子「小説 8050」を読んで感じた違和感

非常に薄っぺらい、商業的な小説。それがこの本を読み終えた感想だ。

「小説 8050」は、進学校でいじめを原因に引きこもった少年が7年後、父親の愛で裁判に挑み、自身の人生を取り戻すという爽快な話のはずなのだが、「ひきこもり家族がいる」という秘密を抱えていた私には響かない、むしろ嫌悪感を与えるものであった。

ターゲットを絞った商業小説。それが「小説 8050」
これは 「文学」 ではない

「小説 8050」のターゲット層は広い。
国の調査によると引きこもりは、15歳から64歳で計100万人以上いるという。そして引きこもりに悩む親や家族、親戚などを合わせると、300万人を超えるのではないかと私は思う。
加えて年を追うごとに加熱する中学受験の親たち。
「本当にこの学校でよいのだろうか?」「我が子が引きこもってしまったらどうしよう」をこの小説は刺激する。

世の中の関心事を題材に、社会課題を金に変える。
出版不況と呼ばれる今、正しい姿だと思うが恋や女たちの妬みや確執、「あるある」と読みながら読者が同調する作風の林真理子には、今回のテーマはあっていなかった。誰かから聞きかじったことを調理して、1冊の本へトレースしただけの作品。

中でも裁判シーンが特にひどく、湊かなえだったらもっと手に汗を握る、胃がキュッとなるような描写だろうな、何で林真理子に書かせたのかな? と非常に残念でならない。

ただ、キャッチーかつ時代に沿った題材であることから、そのうちNHKドラマや映画化されると確信している。

私の弟はひきこもりだった

私の弟はひきこもりだった。そう「だった」というのは、それが過去だから。

彼は中学2年生から不登校になり、高校も行ったり行かなかったりしつつ、大学で本格的に引きこもった。そして大学中退後は、夜に活動をするゴキブリになった。

夜、家族が寝静まった後に彼の活動時間がはじまる。闇の中で彼は食事や風呂、散歩などの生活を楽しみ、私達家族は翌朝に積み上げられた洗濯物やシンクの食器で彼の生存を確認する。

日中に彼を見ることはない。あんなに可愛かった弟が見えない、なにか大きな闇にもがき、苦しんでいた。そして私達家族は、何もしてあげられないことがただただ、悲しかった。

私達は人生を楽しむために生まれてきた。
自身の尊厳が傷つく嫌な場所へは、私は行かなくて良いと思う。

なので私は夜の闇で彼に会えたとき、「せっかく生まれたのだから人生を楽しもうよと、何をしている時が楽しい?」と聞いていた。

彼の答えの大半は「別に」だとか「特に」といったものだったのだけれど、ある日、「バイトをしてみようかな」とポツリと呟いた。

闇に一筋の光が差し込んだ

私は「いいじゃない、凄くいいと思う」とシャワーのように称賛の言葉を彼に注ぎ、彼はまんざらではないよな、少し困ったような顔で笑っていた。

その後の彼は倒れたら止まらないドミノのようだった。自分で働く先を探し、面接に備えて美容院へ行き、服を買い、太陽の光とともに起きる。
そして彼は、人間に戻った。
見つけた企業で働いた後、彼はやりたいことを見つけ、転職をしてSEになった。今では東証一部上場企業でエンジニアとして働いている。

ひきこもりからの脱却には傾聴と対話、科学的根拠に基づいたアプローチ、ソーシャル・サポートが重要

80歳の親が50歳の子供をサポートできなくなることを憂いた8050問題。
これは、親とその子供だけの問題ではない。

日本全体の課題である。

そして、この課題を解決するには引きこもった家族と向き合い、傾聴と対話、科学的根拠に基づいたアプローチをすることが重要だ。

<続きは時間があるときに書きます>



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