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第四回:個人以外のウェルビーイング

こんにちは、ウェル・ラボラトリーズの金子迪大です。
 
初回から「あなたにとって善いこと」とは何か?というテーマで話をしてきましたが、今回は少し趣向を変えて、あなた以外のウェルビーイングについて考えてみましょう。


はじめに

初回で説明した際には分かりやすくするべくウェルビーイングとは「あなたにとって善いこと」であると書きましたが、もう少し詳細にお話をすると「特定の対象のウェルビーイングは、その対象にとって善いこと」であるということが出来ます。ちょっと難しいかもしれませんので、具体的に考えていきましょう。
 
たとえば、国のウェルビーイング、企業のウェルビーイング、動物のウェルビーイング、心臓のウェルビーイング、などについて考える場合もあるでしょう。きっと、政治家や官僚、あるいは選挙のたびに多くの人がこの国にとって善いことは何だろうか、と考えるのではないでしょうか。また、近年は企業においてウェルビーイングを高めることに関心が向けられています。とはいえ、企業におけるウェルビーイングって結局何なの?どうすれば良いの?という人もいるかもしれません。ペットを飼っている人や動物愛護団体の人は動物のウェルビーイングに関心を持つかもしれませんし、健康好きな人は心臓や胃腸のウェルビーイングを保とうと頑張るかもしれません。様々な対象に対してウェルビーイグを語ることは出来ますし、実際語られています。
 
しかし、私は常々、それはウェルビーイングなのか?と思うことがあります。もしかしたら、そこにはウェルビーイングなど存在しないかもしれません。そのことを今回はお話ししたいと思います。

あなた以外のウェルビーイングについて考えてみよう

前回、「あなたのウェルビーイングを決めるのは誰か」という話をしたとき、歴史的には他人があなたのウェルビーイングを決めてきたこともあるけれど、現代社会に広まっている自由主義の下ではあなたのウェルビーイングを決めるのはあなた自身であることが一般的に受け入れられている、と説明しました。まさに個人が主役の時代です。これは、ウェルビーイングの評価をする際に、評価をする側、評価基準を与える側として個人が中心的役割を果たすとも言えます。
 
では、評価をされる側はどうでしょうか。つまり、ウェルビーイングかどうかを決められる側です。色々な対象についてウェルビーイングを考えることは出来ます。先ほど挙げた国や企業のような人間の集合体、経済のようなシステム、ペットのような人間以外の動物、心臓のような人間の中にある器官もそうですし、草木のような植物、石のような無機物、神のような概念についても、ウェルビーイングを考えたい人がいるかもしれません。あるいは将来的にはロボットやAIのウェルビーイングについて議論が行われるでしょう。
 
では、実際にどのように考えれば良いのでしょうか。考え方のヒントとして、前回の「あなたのウェルビーイングを決めるのは誰か」という話を逆の立場から見てみましょう。前回はあなたのウェルビーイングを他人に決められることがあるかという視点で見ましたが、今回は逆に国や企業、経済、ペット、心臓、植物、無機物、神のウェルビーイングをあなたが決めるということを考えてみてください。
 
あなたはこの国の善さは10点満点で何点だと思いますか?あるいはあなたが所属している企業、あなたが顧客としてモノやサービスを購入する企業の善さは?あなたが飼っているペット、あるいは道端で出会う他人のペットはどうでしょう?あなたの心臓は善い心臓ですか、悪い心臓ですか?あなたの知り合いの心臓はどうでしょうか?道端の雑草、お花見をするときの桜、秋を彩る紅葉や銀杏、道路に落ちていた石、そして八百万の神や世界的な宗教の神々は善いでしょうか、悪いでしょうか?

多くの人が関与する対象のウェルビーイング

今、色々な対象についてあなたの意見を聞きましたが、あなたの友人や同僚も同様に意見を持っているでしょう。日本という国の善さ、つまりウェルビーイングについてあなたと友人は同じだけ善いと思っているでしょうか。あるいはあなたが働いている会社の善さを、あなたと同僚、上司、社長、さらには株主や銀行家、顧客、取引先、地域社会の人々などのステークホルダーの全員が同じように評価しているでしょうか。
 
このように、関係者が多岐にわたる対象のウェルビーイングはどのように考えれば良いのでしょうか。総理大臣や社長が善いといったから日本や企業のウェルビーイングは高くなるのでしょうか。それとも、関係者全員のウェルビーイングを平均するべきでしょうか。おそらく様々な人が様々な意見を言うでしょうが、そこに所属している人々の価値観に応じて変わるため明確な答えは無いと思います。
 
それでも、現代社会は王様が絶対的な権力を持っている時代とは違い一人ひとりの意見が同じだけの価値を持つことを前提としています。そのため、国や企業のウェルビーイングを、関係者のウェルビーイングを合算または平均することで算出することは理に適っているでしょう。これはしばしば多くの国で多くの人に「幸せですか?」と尋ね、それを元に「○○国のウェルビーイングは××国のウェルビーイングよりも高い」といった国際比較を行ったり、ウェルビーイング度の都道府県ランキングを作ったり幸せ企業ランキングを作るようなものです(なお、人によるウェルビーイング観の違いを考慮に入れていないので、私はこのようなランキングの多くは「お遊び」だと思っています)。
 
経済や社会の善さというものも、多くの人々が関与しているという点で同様に考えられるでしょう。
 
これらに共通するのは、多くの人が部分的にだけ関与しているということです。例えるなら株式会社のように、持ち株の割合に応じてウェルビーイング度が決定されるようなものです。株主総会での決議のように、各個人は決定の背後に様々なウェルビーイング観やウェルビーイング度を持っているけれども、議決権の範囲で影響を行使する。そして議決権の割合は現代社会では全員同じだけ持っている、と考えていただければ理解しやすいでしょうか。

あなたに所有権があるもののウェルビーイング

ペットや心臓はどうでしょうか。ペットは自分の所有物であるという点で自分が「うちのワンちゃんは幸せよ!」などと主張することが出来るかもしれません。ただしこれは王様が「うちの国民は幸せだ!」と言っているようなもので、犬や猫に「君のウェルビーイングは高いかな?それとも低いかな?」と聞いても、「ワン!」とか「ニャ~」とか言われるだけで分かりません。研究者によっては元気なら動きが大きくなるはずだから動きの活発さで動物のウェルビーイングを測る、という人がいると聞きましたが、「それはあなたのウェルビーイング観ですよね、あなたの勝手なウェルビーイング観を押し付けるんですか?」と突っ込みたくなってしまいます。こういうウェルビーイング観を人間にあてはめると、元気よく走り回る子どもはウェルビーイングが高く、あまり動かない高齢者はウェルビーイングが低くなるのですが、それでいいんですか、と思ってしまいます。
 
心臓や胃腸などの器官はどうでしょうか。国や企業は人間が属する先でしたが、心臓や胃腸は人間に属しています。国や企業の善さを決めるとき、人々に「幸せですか?」と聞いた回答をまとめる方法を取るとするときの基礎単位は人間です。もっと具体的に言えば人間の意識です。心臓や胃腸は当然意識を持っていないので、心臓や胃腸のウェルビーイングを考えることが出来るでしょうか。人によっては「私の心臓や胃腸は十分よく働いてくれているからきっとウェルビーイングが高いはずだ」と言うかもしれません。そのように言う人が企業で過労死寸前まで馬車馬のごとく働かされて売り上げが伸びたときに、経営陣や株主に「この企業の従業員は十分よく働いてくれているからきっとウェルビーイングが高いはずだ」と言われたらどう思うのでしょう。きっと納得できないでしょう。

あなたに関係ないもののウェルビーイング

植物や無機物といった自分に関係ないもののウェルビーイングはどうでしょう。これらについてはあなたの所有物である場合はペットや心臓の例と同じかもしれませんが、道端に生えている雑草や石ころなどは誰の所有でもありません。「お花が笑っているね」のような擬人化した表現を用いて、「綺麗に咲いているからきっとウェルビーイングが高い」と推測する人もいるでしょう。
 
しかし、結局それはあなたという一個人の中にある考えをもとにウェルビーイングを推測しているだけに過ぎないので、心臓や胃腸の例で書いたように逆の立場から考えると納得できないでしょう。

神や宗教のウェルビーイング

神についてはふたつに分けて考えてみます。まず、神を崇める集団としての宗教教団について考えれば、その存在を信じている人々のウェルビーイングを元に考えられるかもしれません。つまり、特定の教団においてウェルビーイングが高い人々がいるとその教団のウェルビーイングは高いと言えるかもしれません。
 
一方、神自体は人とは独立しているので「あの神様のウェルビーイングは高いのだろうか?」と自分たちと独立した対象として考えることが出来ます。また、多くの場合神に対する所有権はありません。そうだとすると、植物や無機物の例でみたようにウェルビーイングを考えることが出来なくなるかもしれません。

ひとつの見方の提示

私の意見は、国や企業、経済などの人が構成している社会・組織・システムのウェルビーイングを考えることは出来ても、人が構成していないペット、植物、無機物、神などのウェルビーイングを人間が考えるのは現代社会からしたら傲慢かもしれないということです。また、心臓や胃腸などの人間に付属している器官についてもウェルビーイングを語ることは意味が無いのではないでしょうか。
 
そのような場合には、たとえば「うちのワンちゃんは活発に動いている。飼い主である私は、そのような活発に動いている状態が好きだ」のようにあなた自身の好みとして考えるべきかもしれないし、「活発に動いているということは健康ということだろう。私は健康を大切にしているから、ワンちゃんが健康であることも善いことだと私は思っている」などとあなたの意見(そして推測)として扱うのが良いのではないでしょうか。
 
このような見方を通してお伝えしたいのは、ウェルビーイングを考えるときに、あなた方ひとりひとりを基礎単位とすることの重要性です。別のところで説明しますが、ウェルビーイング自体が人間について人間によって発見されたものです。そもそも人間以外を対象としていません。それを拡張できるのは人間がその一部となっている集団・組織までで、人間以外の動植物や無機物にやたらと拡張することには慎重になった方が良いでしょう。
 
今後、哲学の発展によってその他のウェルビーイングについても議論できるようにはなると思うので、私としてはその時を心待ちにし、今は人間に関するウェルビーイングだけを考えたいなと思います。

まとめ

個人以外のウェルビーイングについて、つい我々は語ってしまいがちですし、近年のウェルビーイングブームを考えるとおそらく今後語られることが増えると思います。そのときに、どのような基準でウェルビーイングを語るのかをよく考えないと自分にとって善いことを押し付けてしまうことになりかねません。自分ひとりだけが生きている世界なら良いかもしれませんが、社会とは多くの人によって成り立っています。そして人によってウェルビーイング観が異なりますし、動植物や無機物はそもそもウェルビーイング観の表明すらできません。自分のウェルビーイングについて他人に決めつけられることに反発する気持ちがあるように、何かしらのウェルビーイングについて決めるときには慎重に考えていきましょう。
 

あなたがウェルビーイングな人生を送れることを心から願っています。


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